二次創作:転居6日目の夜

  福田矢晴が上薗純の家に転居して6日目。

 矢晴のアルコール依存による離脱症状はいっそう苛烈になっていた。純の家に引っ越してから、バランスのいい食事をとり清潔で快適な寝具に包まれて健康的な生活を送ってはいたが、精神のバランスは引っ越す前よりも脆く、あやうくなっていた。
「苦しい……苦しい……」
「大丈夫ですよ」
 純はベッドのかたわらのスツールに座り、ベッドで泣き伏す矢晴の背中をさする。ここ数日は、これがルーティンとなっていた。
 純にとっては、矢晴の、憧れの漫画家である古印葵の世話をする、ということは悦びでもあり、苦ではない。だが、矢晴の見えない頭のなかの辛さを分かち合えず、軽減することすらできないのが、もどかしくはあった。
「……話してみたら、楽になるかもしれませんよ?」
――話すなんて……
 純の呼びかけに、矢晴の理性が浮上する。
――この頭のなかの、鳴り響く怒号と、言われたことがあるのかないのかわからない、否定の言葉の数々を……
 口に出してしまえば、それが記憶となって糊着する。
――言えるわけがない
「話しません……」
 矢晴の絞り出すような言葉に、純はそれ以上踏み込むことはしない。だが、このわずかな会話が、矢晴のなかの見えないなにかからほんの少しでも気をそらすことができたことが、背中をさする手のひらに伝わる矢晴の体の震えが少なくなったことからわかり、純は安堵した。

「……純さんは」
 部屋の電気を消して、自室に戻ろうとする純の背中に、矢晴が呼びかける。純は部屋の照明を間接照明に切り替えて振り返った。薄明かりのなか、ベッドに起き上がった矢晴の蒼白な顔と髪の影に沈む焦点のあわない瞳が浮かび上がる。
「……男を抱ける人ですか?」
 矢晴の言葉に、純は面食らう。それはあまりにも直接的で、不躾な質問だった。ただ、矢晴の佇まいからは、その質問が下品な好奇心などから発せられたものではないと感じられた。
「どういう……ことですか……?」
 純は矢晴のベッドへと戻りながら、慎重に問い直す。
「……私には……なにもないので……。こんなに世話になって……この体くらいしか……」
 世話になる対価として自身の身体を差し出そうとする矢晴の言葉の裏に、なにか別のものがあることを純は察知する。
「それだけですか?」
 すべてを見通すような、声と瞳。矢晴は抗えず、本音を吐露してしまう。
「…………何も、考えたくなくて……」
 依存の離脱症状からの錯乱。妄想からの逃避。対価として差し出そうとするのは、ズルい嘘。なにも支払わずに純から与えられたこの贅沢な環境を享受することへの罪悪感から逃れるための方便。――だが、切実な訴えだった。
「それじゃ、別のものに依存してしまうだけ、じゃあないですか?」
 アルコールを摂取することの快楽が得られない現状からの逃避に、純に抱かれることを選ぶのは、ただ別の形の快楽を得ようとしているだけ。対価を支払ったことにできる安心感と性的快感を得ることによる快楽と。身体への刺激によって脳を焼ききれば、妄想にも囚われずに済むのだから、矢晴にとっては最上の方策だった。
 だが、純にとっては――。
「……はは……でも、こんな貧相な身体じゃ、なんのおもしろみもないですよね……」
「……そんなことは……」
 純はベッドの縁に腰掛け、矢晴に手をのばす。本能的な拒絶の反応があるかと思っていたが、予想に反してその体はするりと純の腕におさまった。
「後悔、すると思いますよ? 本当に、いいですか?」

 その行為は、矢晴の想像が及びもつかないほどに優しかった。矢晴の身体をいたわるようにゆっくりと肌をすべる純の手も唇も、あたたかく矢晴を包み込む。矢晴の浮き出た肋骨を舐めあげる舌の感触に、矢晴は脳に快楽物質が放出されているのを感じた。アルコールで得られる酩酊感とはまた違う。人肌に触れて触れられて高揚するこの快楽は、その比ではないほど、矢晴の望み通りに甘く脳を焼く。
「古印……先生……」
 興奮した声音、陶酔した表情の純から漏れる声が、矢晴の忘れたい名前を呼ぶ。
「……矢晴、です……矢晴って……っ…」
 高揚にブレーキをかける理性を押し戻すように、矢晴は荒く途切れる息で告げる。
 純は素直に従った。
「矢晴さん、…矢晴、やはる…っ」
 背中からすっぽりと抱きしめられ、矢晴の肉の薄い臀部に純の男性器が当たる。
――こんな私でも、興奮するんだ……
 背中に感じる熱いくらいの純の体温と、膨張した男性器の感触に、矢晴はなんとも言えない薄暗い興奮を覚える。世の中には見捨てられた自分でも、純だけは求めてくれる――らしい。
「ん……っ、純……」
 何度も何度も耳元で呼ばれる名前に呼応するように、矢晴が純の名を呼べば、抱きしめる純の腕に力が入る。臀部に感じていた張り詰めた男性器はより硬度を増し。脈動し。弾けた。
 矢晴の耳元で、純の息が獣が唸るように荒く続く。矢晴の背中と純の腹の間には、純の吐精がぬめっていた。
「……あはは……イッちゃい、ました……」
 矢晴のうなじに顔をうめた純の、消え入りそうな恥じらう声が、矢晴の背骨に響いて吸い込まれた。対価として差し出したはずの身体を抱きしめられたまま、矢晴は純への不信感は拭いきれずとも、いささかの愛おしさを感じ始めていた。

「シャワー、浴びに行きますか? 一緒に」
 いまだベッドのなかで抱きしめられたまま、純の誘いが耳元で踊る。
「今は……動けないので……」
 自分ではほとんど動かず、純にされるがままに転がされていただけだというのに、矢晴はその疲労感から動けなくなっていた。また、立ち上がるために身体を動かせば、背中に付着した純の精液でベッドを汚してしまいそうな気がして、緊張で体がこわばる。
「じゃあ、ちょっと待っててくださいね」
 純はそう言って矢晴を解放すると、足早に部屋を出ていき、数分後、洗面器とタオルを持って戻ってきた。
 洗面器の中には、お湯で濡らしたタオルが数枚。純は矢晴を寝かせたまま、その体を隅々まで拭い、乾いたタオルで拭き上げた。
――結局、手間を増やしてるだけじゃないか……?
 至れり尽くせりの、まるで王族にでもなったかのように純の世話を受けて、対価を支払おうにも満足にできてもいない。余計な手間を増やしてるだけの穀潰し。そんな自己嫌悪に苛まれ始めた矢晴の思考を純が引き戻す。
「それで、どうします? 私はけっこう満足しちゃったんですけど、矢晴さんは、全然ですよね?」
――どうしますって……
 行為の最初から、矢晴自身は一度も勃起に至っていなかった。愛撫を受ける気持ちよさはあれども、男性器の機能不全とでもいうべきか、男相手では勃たないだけか。射精欲すら感じなかったし、そもそも純が満足したのならば、対価としては十分ではないか、と矢晴は思う。
 矢晴がなんと言うべきか考えあぐねているうちに、純は行動をすすめる。
「本気で私に身体を売る気なら、練習しとかないとですしね」
 純は手際よく矢晴をうつ伏せに寝かせ、膝を立たせると、洗面器の底からボトルを取り出した。右手にたっぷりと中身を出し、それを矢晴の尻の割れ目に刷り込むように塗りつける。
「ヒィっ…!」
 人に触られたことのない場所に、初めて感じる感触が矢晴の恐怖心を煽り、矢晴の喉から悲鳴が漏れる。
「痛くはしないので、大丈夫ですよ」
 そんなことを言われても、安心できるわけがない。矢晴はなんとか逃れようとするが、純の左手に背中をおさえられ、逃げることは叶わなかった。
 そうこうするうちに、人に触られたことのない場所は、すっかり純のテリトリーにでもなったかのように、純の指の動きに慣れていく。違和感がだんだんと快感に変わる頃、矢晴の体内に純の長い指が侵入した。
「っ!!」
「痛くないでしょ?」
――痛くは、ない
 けれど、猛烈な違和感と排泄欲に襲われる。
「ふふ……指一本でキツキツですねー。私の入るかな」
 純の無邪気な声に、矢晴の脳裏にさきほど身体に押し当てられた張り詰めた男性器の感触が想起される。指なんて比べ物にならないサイズのそれがここに――? 想像することすら恐ろしい、と身震いした。
――恥ずか死ぬ……
 矢晴は、自身の浅はかさと今の状況に、恥ずかしさで死にそうな気分になっていた。だが、尻穴に指を入れられたこんな格好で死にたくはない、とも思う。
「……純」
「はい! なんですか、矢晴さん」
 名を呼ばれ、明らかに嬉しそうにする純の声音。かかえた枕に顔を埋めている矢晴にはその表情は見えないが、その声から表情までが想像できた。
「敬語……、外していいよ」
 こんな恥ずかしい格好を見せて、お互い、他人には見せない部分まで見せ合った。言葉遣いだけ他人行儀なのは、なんだかアンバランスで。それに――。
「……うん。わかった」
 ゆるゆると指を抜き差ししながら、純は応える。体内でひらひらと踊るように、また体内をぐるりとなぞるようにしながら、純は矢晴の反応を探っていた。背中をおさえていた左手は背中全体を愛撫してまわり、骨の形を確かめる。
「……っ。ふっ……」
 矢晴はあからさまな喘ぎ声を出さないが、呼吸のリズムが変わったことと純の手技に合わせてゆれる身体の反応が、純に対して雄弁に語る。
「矢晴。気持ちいい?」
「……ん」
「じゃあ、もっと気持ちよくなってね」
 純が言うのとほぼ同時に、矢晴の体内にある純の指がピンポイントに体内の器官を刺激する。
「ヒぁッ!!」
 男の体内の物理的な快楽スイッチによって、強制的に高められる快感が矢晴の全身に電流を流し、脳内に溢れ出る快楽物質が矢晴を溺れさせる。
 矢晴の許容量を遥かに超えた快感が矢晴の脳を焼き尽くす。矢晴は抗うすべも持たず、快楽の奔流に意識を手放した。

 意識を手放す瞬間、純の手のひらの体温を感じる背中のなかで、なにかが蠢きふくらむのを感じた気が――した。
















着手:2021/07/29
第一稿:2021/07/31

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