二次創作:散歩
純の過保護が加速した。
「寒いからね」と言われて渡されたニットの帽子。それを受け取ったのがまずかったのだろうか。
「寒いからね」と一昨日はマフラーを巻かれた。そして今日は、手袋を渡された。
純のすすめで、散歩をするのが日課になった。独りで出かけて、ふらふらと近所を歩き、公園や遊歩道のベンチで休んでから、帰る。
この町に住んで1ヶ月が過ぎたとはいえ、出歩いた回数など片手で足りそうなくらいだったから、どこもかしこも知らない場所だ。
純の家への帰り道が分かる範囲で歩いているが、平日の昼間に見窄らしい風体の怪しげな成人男性が徘徊しているのは、町の住人に余計な危機感を与えているのではないかとも思ってしまう。純があれやこれやと身につけるものを渡してくるのは、そういう対策もあってのことかといぶかしく思うが、純の本心はわからない。
冬の日差しはそんなに強くなくて、身を切るような冷たい空気を吸い込むけれど、純に渡されて身につけた種々の防寒具のおかげで凍えそうな寒さはそれほど感じないでいられた。
葉を落とした木々に季節を感じたり、常緑の街路樹を眺めたり。努めて風景に気を取られようとすれば頭のなかは純のことや嫌なことでごった煮になるから、なにも考えないでぼんやりと。そうして思考を止めているのがいいことなのか悪いことなのかの判断もつかない。
帰り道では、コンビニでおやつを買った純と合流するから、純はきっと私がどこでなにをしているのか、全部わかっているのだろう。監視しているなどとは口が裂けても言わないだろうが。
「明日は一緒に川のほうに散歩に行こうよ」
よっぽどハマっているのか、純はまた今日もプリンたい焼きを買っているし、家に着くまで我慢できないようで部活帰りの中高生がごとく行儀悪く歩き食いしている。ハマればとことん、という性格なのだろうか。
「……いいけど」
川、というと、以前に純が写真を見せてきた猫のいたところだろうか。行きたくないわけでもないが、二つ返事で承諾するほど気分は乗らない。一緒に、だなんて……。
そんな曖昧な返事をしたにもかかわらず、純は「やったぁ!」と大喜びしていた。
毎日決まった時間に出かけているわけでもないが、昼食後から純がそわそわしている感じがしたから少し早めに散歩に出かけることにした。
雪でも降りそうな底冷えの気配をドアの向こうに感じながら、玄関で純を待つ。リビングで「行くよ」と声をかけたら純はピョンと飛び上がって二階に駆けていった。そこからそんなに長時間待たされているわけでもないが、“純を待つ”という現状が、なんだか落ち着かない気分にさせてくる。
「矢晴、矢晴、これ着て!」
ほどなくして階段を駆け下りてきた純が差し出したのは真新しいハーフコートで。
「雪が降りそうだし、川のそばは寒いから」
純の言葉が、とってつけたような言い訳に聞こえてしまうのは、私の脳の誤変換か。
「私のためにこういうの買い揃えなくていいって言ってあったよね?」
と言いながら、言ったかどうかの記憶すらあやふやな気がしてきて、純が私のために買っただろうコートと純とどちらに視点を合わせるべきかもわからなくなってきたとき、純が着ているコートも真新しくて、純が差し出しているコートと同じデザインになっていることに気づいた。
――ペアルック?
純が同じデザインのものを私と身につけたくて買ってきたのだったら、“私のため”ではなくて“純自身のため”の買い物か、と思う。あれやこれやと着せ替えて、私で遊んでいるのか、とも思う。
「……似合うと思って……着てほしくって……寒いし……」
普段の様子からは想像し難いしどろもどろ。突っ撥ねられる経験に乏しくて、自分の希望が通らないことに戸惑っているのか、怯えているのか。
「あそう……」
すっかり縮こまった感じの純に呆れてしまう。とはいえ、寒いのは確かだし、私の上着は着古した安物で防寒については、着てるだけマシ、程度でしかない。でも、純とペアルック……という点で躊躇してしまう。
同じデザインの服を着ていれば、私が純に比べてどれだけ貧相なのかも際立つだろうし、散歩中にすれ違う人々は、ペアルックを見てカップルだと勘違いするかもしれない。純にはそんな気は全くないし気にもしないのだろうけど、私が純もそういう気持ちかもしれないと勘違いして期待してしまうかもしれない。
「……着てもいいけど、純は別のにして」
服を買い与えたい純とペアルックは回避したい私の気持ちを汲み上げる、ぎりぎりのラインを提示する。純は目に見えて嬉しそうな顔をした。
純は私にコートを渡すと、着替えのためにまた二階へ駆け上がる。私はジャンパーを脱ぎ、純に渡されたコートを着込む。たしかにあたたかい。
純に与えられたニット帽をかぶり、マフラーをつけ、手袋をはめなおし。身につけているものの半分以上が純が選んで私に与えたものになってしまった。
「わあ! やっぱり似合うね! か…って良かった!」
戻ってきた純は抱きつかんばかりに喜んでいる。なんだか一瞬、間がおかしかったような気もするけれど。
散歩コースは純任せ。いつも純が走っているコースらしく、純のお気に入りスポットをいくつか教えてもらった。景色の良い場所よりも猫スポットが多いようにも思う。
川までは独りでしている散歩の距離よりもだいぶ長くて、冬の曇天による寒さを露出した顔に感じてはいる。けれど、純のくれた防寒具がかなりの冷気を防いでいるのと長く歩いたのとで少しばかり暑さすら感じるほどだった。
「寒くない?」
「うん」
寒さは感じていないが、少し疲れたな、と思う。
「あ、あそこでお茶しよ!」
私の疲れを察知しての気配りなのか、ただの欲望か。
「ここのお店のティータイム限定メニュー気になってるんだけど、いつも夕方走ってるから時間合わなくって」
と示す先には個数限定のケーキを謳う黒板がある。
「今日は矢晴とデ…かけて来たから、時間ぴったりだし、まだありそう!」
嬉しそうに子供みたいに無邪気にはしゃぐ純の姿が微笑ましいやら恥ずかしいやら。なにより、こんなに大きな男が店先で出入り口を塞いでいるのはいただけない。私は呆れながらも、はやく休みたくて純を店に押し込んだ。
喫茶店に入って小半時。純はずっと嬉しそうにニコニコしながら、限定ケーキを楽しんでいた。いつも食事時は広めのテーブルで斜め前に座るから、こんな小さなテーブルを挟んで真正面で純を眺めるのは久しぶりだな、と思う。
――あのときは、こんな関係に、こんな気持ちになるなんて、思いもしなかった。
編集部で声をかけられて、一緒に散歩をした日を思い出す。同居を始めてから1ヶ月と少し。出会ってから2ヶ月も経っていない……。
「……矢晴?」
遠く純の呼びかける声に、混沌とした記憶と思考の海に沈んでいたことに気づく。
「疲れちゃった? 帰りはタクシーにしようか」
意識が浮上するといつも見える、純の穏やかな笑顔。私を気遣う純の声はいつも優しい。
長く歩いた疲れは、暖かい店内で椅子に座って休んだことで軽減していた。脳みそと心は、不安定になっているのは自覚できる。
「……大丈夫。歩くよ」
私はテーブルの上のすっかり冷めたミルクティーを飲み干して、立ち上がった。
純が支払いを済ませるのを、店の外で待った。純のくれた防寒具があるとはいえ、暖房の効いた室内から出てきたばかりでは温度差がありすぎて、寒い。
「おまたせ〜」
扉が開いて店内の温められた空気が流れてきたからか純が隣に来たからか、ほのかにあたたかくなった、気がした。
河川敷の公園を純とふたりで歩いた。晴れていればキラキラと輝くのだろう川面は曇天を映して鈍く濁っても見える。水面を撫でて吹く風は確かに冷たくて、純が『川のそばは寒いから』と言ったことは本当だったなと思う。
隣を歩く純は、いくらか速度が鈍くなった私に合わせて、ゆっくりと歩いているが、その手はなんだか落ち着かない様子で上がったり下がったりしている。
「その手は、なに?」
と問えば、純は身を屈めて、私の耳元に顔を寄せて囁くように言う。
「今すごく矢晴にハグしたいんだけど、外だから……」
所構わずボディタッチしてくる奴だと思っていたが、そんなデリカシーが芽生えたのかと少し驚く。だが、衆目を集めそうな公共の場で純にハグされるのも純にハグするのも、私は恥ずかしくて出来ない。
肩を抱かれては歩きにくいし、腕を組むには特別な感情を意識してしまいそうで抵抗がある。家に着くまで我慢しろとでも言えば、家に着いたらハグをする約束になってしまう。
私はしばし思いを巡らし、手を繋ぐ形で純の手を捕まえた。
上目遣いに純を見れば、驚いたような嬉しそうな顔をしていて。頬が赤いのは照れているからなのか冷気にさらされているからなのかは判別がつかなかった。
ゆっくり歩いて、たわいもない会話をして、時々休んで。帰り道は出てきた時の倍の時間がかかったような気がするが、家に帰り着くまで繋いだ手は離さないでいた。
着手:2022/03/08
第一稿:2022/03/22
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