二次創作:矢晴のバイト(4)

  望海可純の家が居心地がいいからといって、こんなに連日で泊まっていってはさすがに迷惑なのではないか、と思ったりもするが、キラキラとした瞳で「今日も泊まってくれますか?」などと聞かれてしまうと、なかなか断りづらくもあり。
 かくして、月の半分は望海可純の家にいる。
 アシスタントの仕事は週に2日、もしくは3日といったところだし、ずいぶんと慣れたつもりではあるから在宅作業に切り替えてもいいような気がしている。だが、マシンスペックを考えると在宅のほうが効率は落ちそうな気がして、なかなか踏ん切りがつかないでいた。
「古印先生、まだ作業されてるんです?」
 トイレにでも起きてきたのか、数時間前に寝室に入ったはずのこの家の主、望海可純こと上薗純が仕事場のドアを開けて、声をかけてきた。
「明日は休みなので、やれるところまでやってしまおうかと」
 作業をしていると言っても、望海可純のアシスタントの作業ではない。どこにも載せる予定のない自身の漫画原稿だ。
「でも、夜更しは体に毒ですよぉ」
 純はそう言いながら、私の背後に立ち、頭越しに画面を覗き込む。両手は私の肩に置かれ、凝り固まった部位を的確に揉み解してくる。
――あたたかくて、気持ちいい。
「明日の昼間に作業してくれたら、私もお手伝いできるのに」
 そう言いながら、肩を揉む純の手は止まらない。肩から腕が揺れてペン先が定まらないから、作業を中断せざるを得ない。
「純さんを休みの日まで働かせられませんよ」
「古印先生の原稿のお手伝いは、労働じゃないので大丈夫です!」
 何気ない純の言葉が、棘のように心に刺さる。
――金銭の発生する仕事ではないのだから労働ではない。それは確かなことだけど……
――いや、純さんの言いたいことはそういうことじゃない……
 いつの間にか、人の言葉を信じられなくなっている。勝手に裏側を読んでネガティブに受け取ってしまうようになった。自分自身ですら信じきれないこともある。いつから? なぜ? と自問しても答えは出ない。
 ただ、今、肩にある純の手のひらから伝わる体温は、あたたかくて、心地いい。それだけは信じられる気がした。
 あたたかさと気持ちよさが眠気を誘い、私は大きなあくびをしてしまった。肩を揉まれたままではペンも動かせないので、ペンを置き、キーボードを操作してここまでの作業を保存する。
「休憩します?」
「……あ、はい」
「じゃあ、リビングでお茶しましょ。おいしいの淹れますから」
 純に促され、立ち上がる。仕事部屋から出て階下のリビングへと歩きだすと、ずっと座って凝り固まった体全体に血が巡るような気がした。まんまと純の思惑に嵌められた気もするが、それはそれでいいような気がした。

 純は湯気の立つマグを2つ、ソファーの前のガラステーブルに置いた。そして、私の隣に座る。肩や腕が触れてしまいそうなぐらい近く、体温すら感じられそうな至近距離。
 最近気づいたが、上薗純はパーソナルスペースが極端に狭く、ボディタッチが多い。初めて会ったとき――私が古印葵だと気づく前――には視線を合わせてこなかったことを考えると、誰にでもそう、というわけではなさそうではあるが。
 私はといえば、比較的パーソナルスペースは広い方だったかと思う。馴れ馴れしいスキンシップは苦手だった。が、今は純の奇行に慣れたのか、ここまで近くに来られても避けて距離を取って座り直そうという気にはならないでいた。
「……純さんは、仕事で徹夜とかされたことないんですか?」
 湯気の立つマグを口元に持っていき、匂いをかぐ。馴染みのないハーブの香りが温度とともに鼻を通る。まだ熱くて口をつけるまでには至らないから、時間つぶしに聞いてみる。
「ほとんどしないですね〜。割と朝型人間なので、早寝早起きを心がけてます」
 徹夜しなくても作業が進むペンの速さがうらやましいと思う。
「それに……」
 純はまだ熱そうなハーブティーをためらいもせず一口飲んで続けた。
「徹夜って、効率悪いじゃないですか」
「仮にその日1日を5時間延長したとしても、その後の2〜3日が睡眠不足で効率落ちちゃって結局トータルでマイナスだったり、なんてザラですし」
「徹夜した分余計に寝ても寝溜めできるわけでもないし、1日失うだけだったり。それを取り戻すのにまた徹夜して効率落として……って、悪循環でしかないでしょ?」
――確かに……。
 純の話す内容は的確で、無理を重ねる癖のある私にとっては反省点が浮き彫りになる。
「夜型の人が無理に朝型にするのはオススメしませんけど……、日常に組み込まれてない徹夜や夜更しは命の前借りみたいなもので、体に毒だと思ってます」
――うぅ……、反省しかない……。
 私は何も言えなくて、マグの中のハーブティーをゆっくりと口に含み、飲む。華やかだが、穏やかな風味と甘さが舌を撫で、喉を通り、体の内側からあたたかくなる。
「だから、古印先生にも無理してほしくないんです」
 手に持ったマグの中身をこぼさないようゆっくりと、純が私の肩を抱き引き寄せる。
「私が一作でも多く古印先生の漫画を読みたいから、っていう私欲でしかないんですけど」
――上薗純は正直だ。
 その表情を盗み見れば、頬を染め、どこかうっとりとして、とても噓や外交辞令を言っているようには見えない。気遣う言葉を私欲だと断言してしまえるのは、自信のあらわれだろうか。
 純のペンの速さも、効率的な仕事ぶりも、すべてが質の高い十分な睡眠によってもたらされているのかもしれない、と思うと見習うべきことかもしれないなと思う。
 抱き寄せられた体勢のまま、純の体温を感じる。まだ温かいマグを両手で包み込む。
――あたたかい。
 心地よいあたたかさに誘われて、睡魔が訪れる。力が抜けてマグを取り落とす前に口に運び、ほどよい温度になったハーブティーをゆっくりと飲んだ。飲み干してしまえば、この心地よい時間が終わってしまう。そんな恐怖に怯えながらもあたたかさに浸った。

「……今夜は、もう寝ます」
 いよいよもって睡魔に抗えなくなってきた。次の瞬間には寝落ちするんじゃないかとまで思うほど。
「はい。おやすみなさい」
 立ち上がると、純に接していた半身から急速に純の体温が失われていくことにふるりと震えた。寒いというよりは――、寂しい。
「……明日、作業するので、もしよければ一緒に……」
 扉から出る前にまだソファーに座る純に声をかける。
「!! はいっ、是非!」
 純の満面の笑顔に見送られ、リビングを出た。












着手:2021/10/10
第一稿:2021/10/14
 

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