二次創作:純の旅行前夜
純の家に住んで何年経っただろうか。その間、純単独の外泊を伴う外出の頻度は年々減っていった。理由はといえば、私を一人でこの広い家に残していくことが不安だからだ。
独りの夜に被害妄想が再来しパニックになったら――。
独りの夜をやり過ごすのに酒を飲んだら――。
独りの夜が――。
――数え上げればきりがないほど。それだけのことをやらかしてきた自覚はある。だが、純は「心配だ」とは言わない。
「ううー。矢晴をひとりで置いていくなんて、私がさみしい」
取材旅行のための一泊分の荷物を鞄に詰める純を見守る私に向かって、純が言う。
「たった一泊だろ。大人なんだから一晩くらい我慢しなよ」
「だってぇー……」
ぐずぐず言いながらも、荷物を詰める手元はテキパキと動く。スケッチ用の画材、タブレット、資料、カメラ――そして、単行本。
「ちょっと、なんでそれ持っていくの?」
「え?」
純が鞄に詰めようとした単行本、――それは紛れもなく私の著作で。
「お出かけのマストアイテムです!」
と、誇らしげに掲げる単行本には、ご丁寧にビニールカバーまで施されている。
「そんなの、いつ読むんだよ」
「寝る前とか〜、なにかの待ち時間とか〜」
「荷物になるだろ、置いていきなよ」
旅行にまで私の本を持っていくだなんて、いくらファンだとしても常軌を逸してる。それに、そんなことを知ってしまった今、私が恥ずかしい。
「いーやー。持っていくー!」
純から本を取り上げようとした私の手は空を切り、純は両手を高く掲げる。こうなってしまっては、私はジャンプしても届かない。こんなに大きななりをして、私の前では子供みたいな真似をする。
届きもしない数度のジャンプで疲れ果て、純のベッドに体を預ける。純は勝ち誇った顔で鞄の中に私の著作をおさめた。
「矢晴は? 私がいないとさみしい?」
「ん……」
さみしいと口に出すかわりに両手を広げて差し出す。ほどなく私の体は純の重みとぬくもりに包まれ、差し出した両手を純の背中に回せば、あふれるほどの純で満たされる。
お互いの髪をなで、匂いを嗅ぎ合い、頬を鼻をすり合わせ、引き寄せられるように唇を合わせる。じゃれ合うように軽いキスを繰り返すうちに、吐息が熱を帯びる。
「……ん……、純、ダメ……」
深いキスに脳が溶けていくのを、なけなしの正気を振り絞って押し止める。
「これ以上は……、私が耐えられないから……」
自らが誘ったというのに、身勝手に翻す。明日は純のいない一晩を過ごすことになるのに、純の痕跡を色濃く残されては独りの夜を耐えられそうにない。純よりも歳上なのに、一晩を我慢できないのは私の方だ。それを純もわかっているから、体を起こして私を膝に乗せ、ただただ抱きしめてくれた。
「あああ、矢晴も連れて行けたらいいのに」
ふたりきりの旅行ならいいが、純の取材旅行についていくなんてことはできない。純が私にかまっていては純の仕事にならないし、そんな場所では私は疎外感を感じすぎて正気でいられる自信はない。
「私は、大丈夫だから」
自身に言い聞かせるように純に告げる。
「明日は朝早いんだろ? 私ももう寝るよ」
「うん、おやすみ」
部屋に戻るために純の膝から降りる。まだ荷造り途中の純の鞄の中にある私の本が目に入る。
――うん、私は大丈夫。
「じゃあ、お土産楽しみにしてる」
そう言って純の部屋を後にする。明日、目覚めた頃には純は出かけた後だろう。
たった一日、たった一晩、純がいないだけ。
着手:2021/09/16
第一稿:2021/09/17
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