二次創作:誕生日(2)
カレンダーの日付に大きな丸印がついているのに気がついて、純に尋ねる。
「この日、なにかあるの?」
「誕生日!」
「へえ、誰の?」
「私の!」
「あ、……そう……なんだ……」
純の誕生日。
聞いてしまったからには、なにかしらせねばなるまい……と気負ってしまう。
しかし、財布を純に預けているからこっそりプレゼントを買っておくなんてこともできやしない。一緒に買い物に行って目の前で買う、というのも……。私が買えるような安物の何百倍も品質の良い物を純は自分の稼ぎで買えてしまうのだし。
贈り物は金額の多寡ではないとは思うが、有り余るほどの金を稼いでなんでも好きなものを金額を気にせずに買えてしまう相手に、金で買えるものを贈るのは気が引ける。
純の好きなコンビニスイーツ程度でも贈れば純は喜ぶのだろうが、結局、純の目の前で買うことになるわけだし。
なにかを手作りするにしても、この家にあるものは全て純のもので、純のものに私が手を加えたとしても、なんだかそれは違う気がして――。
思いあぐねて、ベッドにもぐりこむ。考えすぎて脳みそが焼き切れそうだ。
この快適なベッドも、ふかふかの布団も、すべて純のもの。純が与えてくれたもの。私自身の持ち物じゃない……。
――あ、そうだ。
この家に、純のものではないものが、ある。
純が仕事部屋にこもっている間に、引っ越してきたときに持ち込んだ自身の荷物を漁る。純の家にはなんでも揃っているし、生活に必要なものでもないので荷を解くことすらしていない。正直、開けたくない自身の過去の遺物とも言える。
とはいえ、純が愛してやまないのは私の過去であり今や潰えた古印葵なのだから、純への贈り物に使えるものがなにかあるかもしれない、とは思う。
箱を開けて最初に見えるのは、乱雑に詰められたペンなどの画材。漫画を描くことが出来なくなった時に、漫画に関わるものを視界から消したくて、詰め込んで蓋をした。そうして捨てたつもりになっていただけの私は、純の言うとおりに漫画に未練があるのだろう。
画材をかき分けていくと、昔描いた原稿やラフの入ったいくつもの大きな封筒やスケッチブック、数冊のアルバムが出てくる。写真を撮ることを日課にしていた頃の、特に気に入った写真をまとめていたアルバム。
――この箱を開けたら、もっと嫌な気分になるかと思っていた。
箱の中にあるのは、漫画を描くことが楽しかった頃のものだからか。
ここで暮らしてけっこう経って、生活や漫画に追い立てられるでもなく穏やかに過ごしている。家主が漫画家だから漫画に一切触れない、なんてことはできないけれど、殊更に押し付けられることもない。適度な距離、と言えるのだろうか。
自身の過去と対峙して、嫌な気分にはなっていないが、楽しい気持ちとまではいかない。嫌な気分にまでならないように、意識的に抑え込んでしまっているような気はする。
この中から純になにをプレゼントできるのか。
いっそのこと、この箱ごとあげてしまえば……と一瞬思ったが、来年はどうするんだ? と頭の中で会議が始まる。最終的に全部を純に渡してしまうとしても、小出しにしたほうがいい、という意見はずいぶんとさもしい気がするが。
とりあえず、今年の分をひとつ、選ぶことにする。
純の属性を考えると、古印葵のファン。たぶんマニアの域。そして漫画家というクリエイター。
漫画のファンやマニアが欲しがるもの、と考えると、おそらく新規絵。とはいえ、今の私には新しく描くなんてことはできないから、純が見たことがない絵をこの中から探せばいい。制作の思考過程が見えるような、描き散らした設定画なんかでも喜びそうではあるけれど。
――これが、いい、かもしれない。
選んだ用紙と装飾用にカラーペンを数本、そしてアルバムを取り出して、箱を閉じると元の場所にしまいこんだ。
いつもは孤独と妄想に苛まれ布団のなかで過ごすような、純が仕事部屋にこもっている時間を作業に当てた。といっても、そんなに大仰なものにする気はないし出来ないし。少しずつ形を整えていく程度。
純は喜んでくれるだろうか、と期待する気持ちはすぐに、こんなものを贈られても迷惑になるだけだと打ち消す気持ちに覆われてしまう。
けれど。
――これは私が純に渡したい、私の過去の記憶の断片。
くじけて投げ出してしまいそうになる心をなんとか繋ぎ止め、純の誕生日の前日にはどうにか形にすることができた。
当日になって、気づく。
――……ラッピング……。
仮にも誕生日の贈り物だというのに、こんな剥き出しで渡してしまっていいものか。もはや、ラッピング用の包装紙を買いに行く時間もないし、買い物に行くとなれば純と一緒に行くということで、目の前で買われた包装紙に包まれた物を受け取るのは純で、それでは純に内緒で用意していた私の苦労が水の泡――だけど、ラッピング……。
今日は誕生日だからなのか純は仕事部屋に行かないようだが、キッチンでなにかしら忙しくしている感じがある。今のうちなら……と、私は再度、自身の荷物を開けるために物置へと向かった。
いつ、純がここへ来て私の行動を見咎めるやも、と思ってしまうと焦りのせいか手がふるえる。悪いことをしているわけではないけれど、そんな形で純にバレたくはない。
私の荷物は前回開けた時のまま。漫画の道具と紙類だけだがプレゼントの包装に使えそうなものはない。シンプルに封筒に入れてしまうのもいいかもしれないが、この箱の中に未使用の封筒はなさそうで。封筒をとるために中身を出したいとも思えないし、使い古した封筒ではなおさら見窄らしい……。
せめて、贈り物の体裁を整えるためのカードくらい……と思うが、ちょうどいいサイズの厚紙もない。無地の画用紙でもあれば……と思ったところで、スケッチブックに目を留めた。
無地の画用紙の束。
あまり直視しないようにしてパラパラとめくり、余白の多いページを探すと紙の隅に小さな落描きがあるだけのページを見つけた。定規とトーンナイフを使って、カードサイズに切り出す。
あとはこれにメッセージを書き込んで、添えて渡すだけ。
――添えて、渡すだけ。
それが一番むずかしい……。見窄らしさに鼻で嘲笑われたり、迷惑そうな顔をされたらどうしよう……、なんて、およそ純からは想像できそうにないことをありありと想像してしまう。
笑顔で受け入れてもらえるにしても、純のために特別に用意した誕生日プレゼントを渡す、という行為が恥ずかしく、見返りを求める行動にも思えてしまう。喜んで欲しい、という期待は強要ではないか……?
次から次へとわきあがる思考は止めようがなく、純へのプレゼントを手にしたまま、考え続ける思考の根がベッドにはびこり、動けない。
――酒でもあれば……。
アルコールで酩酊した勢いでもって後先考えず。それなら渡せるかもしれない。
――酒なんて……。
ここにいたら、飲みたくても飲めないのに――。飲んじゃダメなのに――。
「矢晴、それなあに?」
気づけば、リビングのソファーで。気づけば、純の腕のなかにいた。
純へのプレゼントを持ったまま、条件反射のように無意識に、純にハグしに来てしまったらしい。
「……あげる」
自身の手から、純の手へ、押し付けるように所在を移す。
「私に? 矢晴からプレゼント? わあ! うれしい!!」
受け取った純の顔は見えないけれど、声の調子は嬉しげで本当に喜んでいそうな感じがして、ホッとした。
「わ! これ、古印先生の直筆!?」
カードにしたスケッチブックの切れ端。通り一遍のメッセージを添えた落描き。その小さなイラストに純の手が体が喜びで震えているようで、純の胸に寄りかかる私の体に直接伝わってくる。
「昔の落描きだよ」
今描いた、今描ける、なんて誤解を生まないように、素っ気なく言う。
純はカードをずっと見ていて、本体に辿り着くまで何時間もかかりそうな気がしてしまう。それに、こんな落描きなんて、そんなにじっくり見るものでもない。
私の居心地の悪さに気づくこともなく、純は小さなイラストに夢中になっているようだ。興奮を示してか、純の鼓動はいつもより速い。
「ふわゎ……、うわぁ!」
純が奇声を発するとともに急激に体温が上がったように感じて、純の鼓動にだけ集中するように閉じていた目を薄く開け、純の手元に視線だけを向ける。本体に辿り着いたようだ。
「わわ……、すごい……古印先生の……カラーだ……」
純の鼓動はさっきよりもずっと速くなって大きくなって、私の耳に響く。つられて、私の鼓動も速くなってしまった気がする。
色はついているが、カラーイラストと言えるほどの代物ではない。単行本のカバー用に描いたラフをコピーして、イメージ用に軽く色を乗せただけのもの。担当と相談した結果、選ばなかった最終候補。それに少しだけ色を足した、だけ。それだけ。
「……わぁ……、すごい……」
純はさっきから「すごい」しか言わない。なにがすごいものか。震える声は涙をこらえているようにも聞こえる。
純が泣くなんて、想像できない。だから興味が湧いて、顔を上げて純を見た。
涙こそ流してはいなかったが、今にも溢れそうに潤んだ瞳と、紅潮した頬、恍惚にゆるんだ口元。純をこんなにも魅了するなんて、『古印葵』に嫉妬を覚える。
私が見ていることに気づいた純は、幸せそうな笑顔を寄越す。これは、私に向けられたもの。
「開いて」
と、純を促す。私が純に見せたいものはこのなかにある。
純は私の言葉に素直に従い、表紙をめくった。
「わぁ……、きれい……」
純の反応は私を安堵させる。
「え……、でも……、私、この写真、初めて見るのに……“知ってる”……」
純なら、“わかって”くれると思っていた。ほら、やっぱり“わかって”くれるじゃないか。
「すごい……。カラーになった……、実写になった……。すごい……」
純の頭の中に、なにが描き出されているのかはわからない。それでも、純が“わかって”くれているのだけは、理解る。
数冊のアルバムの、数十枚の写真のなかから、私の特に気に入っていた写真だけを集めて再編集したアルバム。単行本のカバー候補のラフをアルバムのカバーにして、純に贈ったのは、私が自身の漫画で表現した記憶の断片。
「…………これが……、矢晴の世界……?」
私への問いかけなのか、純自身が確認するための独り言なのかは判別がつかないが、私はそれに反応して、頷く。
「すごく、素敵……。ありがとう……ありがとう、矢晴」
純がわずかに体を起こし、私を抱きしめる。いつものハグよりずっと、ずっと力強く。喜びに震える純の鼓動がよりはっきりと伝わる。嬉しさが駆け巡る純の高い体温が、私を包む。
全身で喜びをあらわす純に、期待が現実になったことを実感する。ここまで喜んでくれるとは思っていなかったが、純に喜んでもらえて嬉しい気持ちが私の体温も上げていく。
「……暑いよ」
のぼせそうなほどの体温の上昇を純に押し付ければ、純は慌てた素振りで抱きしめる腕をほどいた。
着手:2022/04/06
第一稿:2022/04/30
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