二次創作:トイレ
純の家にはトイレが2箇所ある。1階と2階。
大家族を想定して建てられた家だからなのか、いささか大きすぎる家だからなのかはわからないが、それぞれの階で用が足せるのは、それなりに助かる。
けれども、2階は他者の侵入を想定していないプライベートな空間だからか、トイレも純だけが使いやすいようにとリフォームしたらしい。純の体に合わせた大きく高い便座は、私には使い勝手が悪い。床に足がつかないし、気を抜けば便座にはまり込んでしまいそうで落ち着かない。
だから、私は基本的に1階のトイレを使う。
純の家のトイレのもうひとつの特色といえば、それぞれ小さな本棚が設えられていること。どちらの本棚も最上段には純の漫画の単行本と並べて私の単行本が置かれていた。トイレにまで置くなんてどれだけ私の漫画が好きなんだ、と呆れるほどだが。
けれど、1階のトイレからは私の本は撤去させた。用を足すたび、たった2冊の私の単行本と15冊も出ている純の連載作の単行本が並んでいるのを見るのは気が滅入るからだ。
2階のトイレはほぼ純専用になっている。私が使うことは滅多にない。
のだけれど。
2階に上がった途端に尿意に襲われた。階段を降りて1階のトイレに行くのも面倒だなと思い、どうせ純は仕事中で仕事部屋にこもっているのだろうから、と、2階のトイレのドアを開けた。
この場合、鍵をかけていない純が悪いのか、2階のトイレを使おうとした私が悪いのか。
いや、ノックもせずにトイレを開けた私が圧倒的に悪いのだろう。しかも、こんな場面を目撃してしまって、純に申し訳ない気持ちでいっぱいだ。驚きすぎて尿意も引っ込んだ。
ドアを開けた途端に、下半身を顕にして便座に座る純と相対した。
ただ。
そこにいた純は、排泄行為をしていたわけじゃない。いや、排泄と言えば排泄なのかもしれないが。
左手に私の単行本を開き持ち、右手はそれなりの速度で上下に動く。その右手のなかに張り詰めた純自身を握り込んで。
そりゃあ、今、純の寝室は私と共用になってしまっているから、そういったプライベートな行為を行える状態にない。完全にプライバシーを保てる空間として鍵のかかる仕事部屋はあるが、仕事部屋という形式上、そのような行為を行うわけにもいくまい。そうして考えれば、ほぼ純だけが使う2階のトイレならば、そういった行為に使うのに最適ともいえる、かもしれない。
だけど。だけれど。
するならするで、鍵をかけるべきではないのか。
鍵さえかかっていれば、私がこんな場面に遭遇することもなかったのに!
行為に集中しているためか、純はドアが開けられたことにも私の存在にも気付いていないようだった。だから、というわけでもないが、私は衝撃で呆然と立ち尽くし、純の行為を凝視してしまった。
純の大きな体に見合う、純の大きな手でも余る、かなり立派な。上下する右手から飛び出している亀頭は朝露を湛えた薔薇の蕾を思わせるピンクに近い紅色で、先端にひらいたなめらかな小さな窪みから雫を垂らしている。
純の視線は私の単行本に注がれて、瞳は恍惚に潤んでいるように見える。
純がトイレで自慰行為に耽っているのはいいとして。そのおかずが私の漫画なのがどうにも解せない。私の漫画にはそんなあからさまに性的興奮を煽るような描写はないはずだ。
二次元で抜くオタク、と純が言っていたのは、エロアニメやエロ漫画をおかずにしている、ということではなかったのか。そもそも純の性的興奮の対象が、いわゆる普通のエロではない可能性を考え始めるが、純はちゃんと成年向け同人誌を隠し持っていたじゃないかと脳内で議論が始まる。思い出せる限りでは学園モノと触手系が目立っていた気がする。
だったら、なぜ、今現在、私の目の前で自慰行為に耽っている純の手には私の漫画があるのだろうか。いつも私の漫画で抜いているのか。同居初日の夜に『夢みたいに気持ちいい』と言っていたのは、こういうことか?
思考がパンクし、視覚から入る純の痴態に煽られて、その場から動くこともできなければ失礼を詫びる言葉さえ出てこない。
純の手の動きがさっきよりも速くなった気がする。クライマックスが近いのだろうか、純が左手を空けるために単行本を棚の上に置き、射出されるであろう精液を受け止めるためにペーパーを取ろうとしたその時に動いた視線の先に私の姿を捉えたのであろう。
驚いた純が悲鳴のような素頓狂な声を上げた。と、同時に透明な雫を垂らしていた穴から勢いよく白濁した精液が噴出する。
純の口からは射精の快感に酔ったようなよがり声と痴態を見られた羞恥や驚きの悲鳴とが混ざったような奇妙な声が漏れていた。
純の精液はなににも遮られることなく放出され、その勢いは強く、私の頭上を飛び越えそうなほどだったが速度は重力に負け、私の顔に降り注いだ。
つまりは、顔射されたようなもの。
あやうく、純の自慰行為を凝視していて瞬きもせずに見開いた目に精液が飛び込むかと思ったが、眼鏡をしていて助かった。いや、眼鏡のおかげでくっきりはっきり純の行為が見えてしまったがゆえにこんな惨事になったのかもしれない。
とはいえ、今は眼鏡のレンズが純の精液にまみれて視界はまだらに白い。
「うわぁッ! 矢晴、大丈夫? ごめんね、大丈夫?」
盛大にロールの回る音がして、引き摺らんばかりに大量のペーパーで顔を拭かれる。拭われて塗り拡げられたのか、鼻腔に届く純の精液の匂いが強くなった気がした。
純は何度も謝り、何度も無事を確認するように聞いてくる。むしろこんなところを見られて大怪我したのはお前だろうに。
純の家のトイレットペーパーがどんなに高級でシルクのようにやわらかろうが、所詮は紙だし、こんな体勢で拭かれても全てを取り去ることなどできない。拭かれた眼鏡は視界がひらけたが薄膜をはったように霞んでいる。
「大丈夫? 矢晴、ごめんね」
心底申し訳無さそうな純の顔。謝るべきは私なのに、と俯いた先にモロ出しの下半身が見える。
「私は大丈夫だから! 先に履きなよ! 見ちゃってごめん!」
私はそう叫びながら純の前から逃げるように1階へと走った。
洗面所で顔を洗い、眼鏡を洗う。と、衝撃に引っ込んでいた尿意を思い出しトイレに向かう。
便座に座って用を足している間、便座に座って自慰行為をしている純の姿が走馬灯のように頭の中で上映されて困った。ちょっとムラムラするような気配を下腹に感じるが、排尿の快感で打ち消された。
まずはちゃんと純に見てしまったことを謝らなければ。その前に心を落ち着けるために水でも飲もう、とリビングへと向かう。
が、その目論見は儚く潰えた。
純がリビングにいたからだ。
「矢晴、大丈夫? ごめんね」
もはや聞き飽きたレベルの純の言葉。謝るべきは私なのに! と怒りすらこみ上げる。
「大丈夫だよ。私が悪いんだからさ、謝らないでよ」
純をなだめるように言う。そもそも私が確認もせずトイレを開けたのが悪いのだし、さっさと立ち去らなかったゆえのことだし、純の精液が私の顔にかかってしまったのは不可抗力だ。純はなにも悪くない、たぶん。
「あんなところ見ちゃってごめん」
改めて謝る。自慰行為という秘事を見られてしまって恥ずかしいのは純だろう。
謝ってしまえばすっきりして、今度は興味がわいてくる。
「あのさ……、いつも、私の本“使って”るの?」
「ん? えーと……。古印先生の本読んでるとね、頭と心がすごく気持ちよくなるから、たまには身体も気持ちよくしてあげないと不公平かなって思って……たまにおちんちん触るの。そしたら射精して気持ちいいから」
おち……! まるで性に目覚めたばかりの小学生のような言葉遣いに驚く。言っている本人は、頬を染めて恥じらうような素振りがあるが、性的な話をしているから恥ずかしいというよりも、気持ちよさを思い出してうっとりとしているように思える。
純の言っていることはよくわからないが、性的興奮を高めるために私の本を“使って”いるわけではないようだ。むしろ私の本を読んで脳イキしている快感のおすそ分け的に身体に直接的な快感刺激を与えているだけらしい。
純にとっては自慰行為は性的行為ではなく、秘すべきことでもないのかもしれない、と思い至った時、以前に純が書いたランキングを思い出した。
【4位 射精】
食事時になんてことを! とその時は思ったものだが。純の様子を見るに、ただ気持ちよくて好きなこと、というだけらしい。そもそも、純にとっての射精はセックスを伴うものでもない、ただの一人遊びであるのだし……。
とはいえ、私にとっては射精は性的行為に伴うものだし、自慰行為も秘すべきことだ。今後、このような惨事に見舞われないためにも純には自慰行為をするときには鍵をかけるようにと言うべきであろうが……。
純の純粋さを私の不純な思想で汚染してしまっていいのだろうかと逡巡し始める。
結局、なにも決心がつかず、そうなんだ、とひきつった相槌をうつにとどまった。
着手:2023/07/27
第一稿:2023/11/09
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