二次創作:矢晴のバイト(こうだったらいいなという、もしもの話)
A誌での元担当から久しぶりの電話。
『お久しぶりです、古印先生。僕、今度異動することになりまして』
B誌に移るという不義理をしてしまったのはこちらだというのに、義理堅いことだと感服する。なにより、こうして忘れずにいてくれたことが嬉しかった。
『最近、どうされてます?』
正直に答えていいものか。素直に話せば他誌の愚痴になってしまうし、実力不足で掲載に至らない自身の不甲斐なさを露呈することになる。現状への恥ずかしさもあるが、気心の知れた元担当ならば雑談ついでに相談してみるのもいいかもしれない、とも思う。でも、ただの社交辞令の挨拶の電話でそんな重い話をされるのも困るだろう。と、努めて簡素に近況をまとめた。
「なかなか企画が通らなくって。バイトでも探そうかと思ってて」
『バイト、というとアシスタント先探されてる感じです?』
「え……まあ……」
アシスタントも考えないでもなかったが、不定期、長時間拘束を考えると選択肢には積極的には乗らなかった。
『ちょうどアシさん探してる作家さんがいるんですけど、紹介できますよ!』
元担当の陽気な声音に、断りの文句を考える間もなくトントン拍子に話は進み、日程が決まった。
人物と背景、効果のカットを数点ずつ、ついでにB誌でボツになった短編をひとつ。自分ではよく描けたと思っていたが、ボツになってしまった作品。日の目を見ることはないだろうから、サンプルの賑やかしにでもなろうかと持参した。
漫画家としての受賞歴でも書けば多少の箔にもなるのかもしれないが、恥ずかしいので履歴書は本名のみで、受賞歴なども書かなかった。
元担当に連れて行かれた場所は、個人宅というには大きくて、自身の住むアパートと比べてしまうとかなり気後れしてしまう。
「こちら、望海先生のお宅です」
望海可純。年下だが、いまやA誌の看板作家とでもいえるほどの人気作家、らしい。私はといえば、B誌でのボツが続き、行き詰まりを感じてすっかり漫画を読まなくなって、望海可純の連載作も読んでいない。アシスタントの面接を受けに来ているのに作家の作品を読んでいないのはだいぶ失礼な気もするが、作風を考えると採用される可能性は低い。と、後回しにしてしまった。
「こちらがアシスタント希望の、えっと、福田さんです」
担当には事前に古印葵の名前は出さないように頼んでおいた。担当はこの後別件があるということで、玄関先で別れる。私はひとりで望海可純の面接を受けることになっていた。
望海可純の自宅。広い玄関から廊下をすすみ、ドアの向こうのダイニングテーブルに案内され、コーヒーを出された。
挨拶もそこそこに望海可純は持参したカットに目を通す。初めて見る望海可純の第一印象は、あまり人の顔を見て来ない、少し信用ならない笑顔の人。漫画家だから人見知りもあるだろうし、初対面なのだから営業スマイルなのだろう、という感じ。身長は高く、体格に恵まれていて陽キャな雰囲気。明るい髪色に整った顔。大きなピアスは重そうで。あまり漫画家という職業にはいなさそうな、美丈夫。
「……ん?」
カットを見ていた望海可純が怪訝な顔をする。これはどんな表情なのだろう? 不採用を告げる言葉でも考えているのだろうか。
「……え……?」
望海可純は持参した短編を読み始めた。アシスタントの面接とは思えないほど、1ページずつ舐めるように読んでいく。
「……こいん……せんせい……?」
一度、最終ページまで読んだ後、なぜか、望海可純はもう一度最初から原稿を読み始めた。編集でもこんなに丁寧に読み込まないと思うのだが。なんだか気恥ずかしさに居たたまれない。望海可純が二周目を読み終わる頃には、出されたコーヒーを飲み干してしまっていた。
「あの……」
原稿の向こうから、望海可純が上目遣いにこちらを見る。私よりも身長も座高もずいぶんと高いはずなのに、不思議な感じだ。そして私の顔を確認すると、履歴書を見て、また原稿に目を落とす。そして今度はまっすぐにこちらへ顔を向けた。
「えと……、福田さん?」
これはいったいどんな反応なのだろう?
「こ……古印……葵先生……ですよね?」
「え……。あ、はい、そうです」
正直、驚いた。まさか望海可純が私を知っているなどと、思いもよらなかった。私が肯定すると、望海可純の表情は花が咲いたかのように明るくなり、見る間に紅潮していった。
「わぁ……、やっぱり!」
その言葉を皮切りに、望海可純が早口でまくし立てるように私の作品を褒め、興奮を隠そうともせず語りだした。その様子は既知のものだ。自らもそうだが、人は夢中になっているものをこんなふうに早口で熱く語る――。望海可純が、私を――?
「あの……」
放っておいたら何時間でも語りそうな勢いの望海可純を制止したく、声を出す。望海可純は夢中になりすぎていたことに気づいた様子で恥じらうような表情に変わった。
「あ……、あ……。あの、ファンなんです。古印葵先生の……」
玄関を開けてから部屋に通しカットを見始めるまでの一連の表情が、本当に営業用の外面だったのだとわかってしまうような、柔和な笑顔。恥じらう乙女のように頬を染めファンだと告げる望海可純に、嬉しくもあるが困惑してしまう。この調子では、思い入れが激しすぎて、私がアシスタントとして勤めるには不向きだ。これは早々にこちらから辞退を申し入れるのが得策だろうか。
「……ありがとうございます。それで、アシスタントの件ですが……」
「え? あ! 採用! したい…です」
望海可純はこの対面がなんであったのかすっかり忘れていたようで、呆けた声をあげたあと、採用を告げるもだんだんと遠慮がちに小声になっていった。なんだか立場が逆転してしまったようで、正直、やりにくい。
「望海先生」
叱りつけるわけじゃない。そもそも人を叱るなんて性に合わないし、雇い主になるかもしれない漫画家を叱れるものじゃない。ファンの暴走を叱る、というのもなんだか違う。きつい口調にはならないように気をつけるが、ここははっきりさせないと今後が困る。
「望海先生が古印葵のファンだというのは光栄なことですが、今の私は望海先生のアシスタント候補に過ぎません。技術を買っていただけるのであれば採用は嬉しく思いますが、ファンだからという理由であれば、辞退させていただきます」
望海可純の表情がみるみる曇る。私よりもかなり大柄なのに、しょんぼりとする子犬のイメージがオーバーラップする。まさか泣き出しはしないだろうが……。
「……久しぶりに古印先生の新作が読めて舞い上がりました。失礼しました……」
望海可純はそう言うと、立ち上がり、私の空になったコーヒーカップを持ってキッチンへ向かう。その足取りが心做しかふらついているようにも見える。そこまできつい物言いにはなっていなかったと思うのだが。
2杯目のコーヒーを持って戻ってきた望海可純は、いくぶんか外面も戻してきていた。短編の原稿を整えて封筒に戻し、履歴書を手にする。
「……福田矢晴さん。矢晴さんとお呼びしてもいいですか?」
「はい」
「今、うちはフルデジタルに移行しようとしてるところなんですが、矢晴さんはデジタルのご経験は?」
「少し。まだ勉強中といったところですが」
「デジタル作業については、うちに通いや泊まり込みで勉強してもらってもかまいません。お教えしますし。泊まりの場合、うちの作業にかかる以外の時間はご自身の原稿を進めてもらってもいいです」
作画作業の省力化のためにデジタルを導入し始めたが、独学の限界も感じ始めていたところだったので渡りに船といったところ。
そこからは採用を前提とした条件の話。給与、スケジュール、その他。折り合いがつかなければ断ってもいい、という前置きがあったが、概ね問題はなく。ファンだから、という理由で色をつけられているようなこともないようだった。
「そんなところで、いかがでしょうか? 採用させていただけます?」
「よろしくお願いいたします」
結果、私は望海可純のアシスタントをすることになった。
「あ、あと最後に……」
望海可純はもじもじとうつむき、短編原稿の入った封筒を手に取る。
「この原稿、お借りしてもいいですか? コピーしたいので!」
先程までのビジネスライクな表情はすっかりと影を潜め、古印葵ファンが顕れる。
「いいですよ」
そう応えると、望海可純は飛び跳ねて喜んだ。やっぱりなんだか子犬のようで、可愛らしい。それに、ここまで私の漫画が好かれているのを目の当たりにするのも悪い気はしなかった。
着手:2021/08/01
第一稿:2021/08/04
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