二次創作:なにしても
「けど……矢晴が望めばなんでもするよ」
背後から聞こえる言葉は、私に都合のいいだけの聞き間違いかと思う。
“2次元でしか抜いたことがないオタクだから!”と朗らかに言ってのけるような男が、私の望みならばなんでもすると言う――それは、性的なことでも――なんでも、だ。それはあまりにも、甘美な誘惑。
私は恐る恐る純のほうへと顔を向ける。きっと、そこには私の聞き間違いを裏付けるようなケロっとした顔があるはずだった。
瞬間、体中の血液が沸騰したかのように体温が上がる。ついさっきまでの凍りつきそうなほどの体温低下が嘘みたいに体が熱い。
「なんでもするし、なにしてもいいよ」
ねっとりとまとわりつくような、溢れ出す色気に当てられて、息が上がる。
目の前にある、この純の表情は、いったい、なんなんだ。
背後にいる純の表情を私が妄想で作り上げたわけではない。はっきりと目に見える。欲を孕んだような瞳は、私の欲を反射しているだけなのか。
『けど……矢晴が望めばなんでもするよ』
確かに純はそう言った。そして、私の目を見て、はっきりと『なんでもするし、なにしてもいいよ』と言った。
――いったい、“なに”を……。
はだけたパジャマにまくりあげたシャツ。ついさっきまで、この肌に触れていた。この腕に、抱きしめられていた。
『もっと触って』
劣情を煽るような言葉でもって、私に密着し、私の手を肌に触れさせた。
背中に、純の手の感触が残る。私の手に、純のなめらかな肌の感触と温度が残る。
“なんでもする”と純は言った。それならば――
「……じゃあ、キスしてよ」
私の要求を咀嚼し吟味でもしているのか、少しの間。その表情に嫌悪でも浮かんでいたら……と思うと視線を上げることが出来ない。
「いいよ」
純の手が、私の頬を支えて、私の顔を純と相対させる。ゆっくりと純の顔が近づいてくるのが見えた。近づく唇に期待と恐れと、得体のしれないぐちゃぐちゃの感情で心臓が高鳴る。
軽いリップ音と、髪越しに額に触れるか触れないかの、かすかな感触。
「……は?」
期待を裏切られ、肩透かしを食らって、怒りがわいてくる。
一度離れた純の唇は、再度、場所を変えて私に触れる。頬に、鼻に、瞼に。肝心なところには降り注がないキスの雨。わかってて焦らしているのか、する気がないのか。
触れる心地よさと、期待を満たされず焦れた苛つきがピークに達する頃、やっと。
唇の感触を把握する間もなく、それは離れ、キスの雨も止む。唇の先が触れるだけの軽い、キス。
純を見れば、やりとげた感を満面にたたえた笑顔。
なにもしてない、なにもできていないのに。こんなの、私の望んだキスじゃない。
「今どき、中学生でもこんなんで満足しないだろ」
キスすらしたことがない純〈ピュア〉なのか? この歳になってまで。
「矢晴?」
純の胸ぐらを掴み上げ、その体に乗り上げる。天井を見上げるように枕に乗った頭はふたり分の重さで沈む。純の唇の形を確かめるように舌でなぞり、唇を合わせて感触と温度を知る。過去の経験とは明らかに違うその唇を、貪るように喰み、歯列を割って舌を滑り込ませた。
初めての体験に緊張しているのかどうか知らないが、微動だにしない純の舌の表面を舐める。女と違って大きな口腔は私の舌の長さでは探りきれない。それでも、ひさしぶりに感じる粘膜の感触は官能を刺激するし、それが、純のものだと実感するたび体の中心を興奮が這い上がる。
一方的に純の口内を味わい、唇を感じた。体を起こして純を見下ろせば、頬を染め、息を荒くしている。瞳は潤んで見えるが、それが蹂躙されたことへの憤りなのか、深いキスへの陶酔なのかは判断がつかない。
「“なにしてもいい”んだろ?」
純のなめらかな肌に手を這わせ、中心へと辿る。純のパジャマを下着ごとずらして純の中心を露出させた。そこは想像通りに、期待外れに萎えたまま。
「はは……。やっぱり私なんかには欲情しないか……」
「っ、それは……」
純がなにかを言いかけ、言い淀み、なにも言わずに口を閉ざす。羞恥に染まった純を見て、薄暗い悦びを感じる。そしてまた、こいつにも恥の意識はあるんだな、と頭の片隅で思った。
純がどれだけ私に――古印葵に憧れていようと尊敬していようと、私への感情は肉欲すら伴わない。それなのに、あんな艶めかしい顔をして、あんなことを言う。できもしないことは今まさに証明されていて、それは私をひどくがっかりとさせた。
――私の気持ちは……。
おそらく、肉欲を伴う。純をどうこうしたいのか、純にどうこうされたいのか。それはまだはっきりしないが。
純は2次元で抜くと言うのだから機能不全ということはないのだろう。
むしろ機能不全なのは私のほうだ。充分に興奮している感覚があるのに、私の中心の勃ちはゆるい。こんな状態で射精できるのかすら怪しい。
ただ、一番敏感な部位で純を感じたい。
スウェットと下着をずらして、自身の性器を露出させる。純の萎えたままの性器にこすりつける。手で肌に触れる比ではない。駆け抜ける快感に息が漏れる。性器を触れ合わせたまま、握る。さすがにふたり分では手に余り覆いきれないが、ゆっくりと手を上下させ、刺激する。
気持ちがないのはわかってしまった。でも純はなんでもすると、なにしてもいいと言ったから。それならば、体だけでも欲しいと思う自身の浅ましさ。目に見えない心の繋がりよりも、確実な体の繋がりだけでいい。そんな汚い欲望を、純は蔑むだろうか。
そしてまた、軽々しく口にしたその言葉がどんな結果を生むのかを知らしめたいと思う気持ちは黒い。純はそんなつもりじゃなかったと泣くだろうか、笑うだろうか。
と純を見れば、頬を染め、うっとりとした表情で、その瞳は期待に濡れているような好奇心に輝くような。両手は抵抗しないように戒めているのか、祈るように顔の前で組んでいるから、その口元は見えない。けれど、想像していた反応や抵抗は一切、ない。純が何を考えているのか、わからない。
直接的な刺激により、手の中で硬度と質量を増していく。それにつれ、快感の度合いも上がっていく。が、いよいよ手に余り、ふたり分を包み込むには指が届かない。刺激が足りなくなってくる。もどかしい。苦しい。
「お前は……男にこんなことされて、平気なの? 嬉しいの?」
イキきれない苛立ちを純にぶつける。
「……矢晴がしてくれることだから……嬉しい……」
「あ、そう……」
恍惚とした表情で答える純に半ば呆れてしまう。
やっぱり純が何を考えているのかわからない。こんなことをされて嬉しいだなんて。
それでも、私の手の中では純は確かな質量と硬度をもって脈打っている。感情じゃなくとも、私の手の中で、その刺激で、快感を感じているはず。でも、私自身がイキきれないほどのもどかしい刺激になってしまっているのだから、純もイクほどの刺激にはなっていないだろう。もっと包み込んで、密着して、全部を覆って、摩擦して……と、自身の体を支えるために純の腹についていた片手を離して両手でふたり分を握り込もうとして、支えを失った体がバランスを崩した。
瞬間。純の大きな手が私の背中と腰に回される。純が起き上がったことで、中心がより圧迫されて、密着する。純の手のひらから伝わる温度と感触が、背骨にそって駆け抜ける快感をより増幅して脳に伝える。脳が処理しきれなかった快感が声と息になって口から漏れた。
離れてしまった手が自然と純のパジャマを掴む。純の首筋に唇を寄せ、刺激を求めて勝手に腰が揺れる。押し付けて、擦り付けて。じわりと滲む汗と先端から溢れる汁が性感を高める。
「矢晴は、私に欲情してるの?」
耳を擽る純の囁きと熱い息に身体が震える。直接的な問いかけに羞恥が勝り、答える代わりにパジャマを掴む手に力を込めた。
それを純は肯定として受け取ったのか、身体を支えていただけの純の手が服の下に入り込んで直接肌を撫で、私を抱きしめるように力がこもる。
「私も……できてる……?」
純の質問の意図が見えず、困惑する。『私も』ってなに……? 『できてる』ってなにが……?
詳細をたずねなければ、わからない。でも、純の言葉の意図を追及するよりも、自身の快楽を追求したい。純に触れて触れられて得られる快感を拾うことに集中したい。もっと、もっと、肌が溶け合うほどに密着したくて純の首に縋りつくように腕を回した。
背中にあったはずの純の手がうなじにかかる髪をかきあげる。指先が耳に触れ、手のひらが首を支える。
「矢晴」
名を呼ばれ、反射的に顔を上げると純の顔が近づくのが見えた。
――キスして欲しい……
そう思うのと同時に、純の唇が私のそれに重なる。どうせすぐに離れてしまうだろう、と落胆の気持ちを用意していたのに、唇は触れ合ったまま。後頭部から首に当てられた純の手が強固で私から唇を離すことも出来ない。
純の唇が私の唇を啄む。挟まれ、吸われ、舌が這う。最初のとは大違いな濃厚なキス。私の口内に入り込んだ舌は的確に私を気持ちよくしていく。
――こんなキスができるのなら、最初からしてくれればよかったのに……。
と思った瞬間、気づく。最初は“できなかった”。今は“できる”。学習したから。純は私のキスを再現しているだけだ。……たぶん……。
さっきの純の言葉も、私の聞き間違いだったのだろう。“できてる?”じゃなくて
“できる”とかなんとか。……おそらく……。
うまく呼吸できなくて、純の吐き出した息を吸うような酸欠状態。純の高い体温と濡れた舌の感触に朦朧として、深いキスに酩酊するような浮遊感。私は純に溺れてる。……きっと……。
「矢晴……、かわいい……」
快感に痺れてまとまらない思考。だらしなく開いたままの口でどうにか酸素を取り込んでいることだけはわかる。目の前にあるはずの純の顔は近すぎて焦点が合わない。遠く耳に届く純の声には陶酔のニュアンスがある。
――私がかわいいだなんて、やっぱり純はどうかしている。
頭の片隅でそう思うのに、なんだかくすぐったい気持ちもわいてくる。子供扱いされているみたいで嫌な気持ちにもなるのに、子供相手にあんなキスをするわけがないとも思う。でもやっぱり“かわいい”なんて……成人男性に対して使う言葉じゃない……。他に、もっと、なにか……。
「……もっと、……」
純の声を聞きたいと思いながら、純の唇を塞いだ。舌をのばせば純の舌が迎えて絡みつく。もう再現や模倣なんてレベルじゃない。私の欲しいキスを、純は応じて与えてくれる。
――純はなんでも、与えてくれる。快適な住まいも、清潔な寝床も、充分な食事も。動けないでいる私を運び、なにからなにまで世話をする。そして今、純の与えてくれるこのキスは……。
恐ろしい速さで、頭の中から興奮と快感が消えていく。体だけでいいと、そう考えた自身の浅ましさが私を苛む。繋がることもできないで、ただ純を自慰の道具にしようとした。純にとっては私の性処理も介護の一環として受け入れているのかもしれないが、これは純の尊厳を踏みにじる行為だ。純の浅はかな言葉につけこんで、獣のように自身の性欲だけをぶつけて――。
自分が望んで求めたキスから顔を背ける。あふれる涙が純の肩を濡らした。
「矢晴?」
純の手が、優しく背中をさする。私が泣いてしまうといつもこうして慰めてくれる。純のさする手は、もはや性的興奮を高めるような接触ではないのに、思考と切り離された身体は勝手に反応してしまう。頭の中では汚らしい欲望を蔑み苛むのに、中心は惨めにも純を求めて張り詰めたまま。
「私が、していい?」
耳元で囁かれる純の言葉が頭のなかで反響しながら割れていく。細かな破片が燦めきながら漆黒の泥のような欲望に沈んでいく。私は自身の言葉で答えることをしないで、純の首に縋りつく手に力をこめた。
純の手が、ふたりの身体の隙間に入り込む。純の手がふたりの中心を握る。純の大きな手に包まれて、擦り上げられ、自身のコントロール下にない刺激が制御できない快楽を生む。
耳に聞こえるはしたない嬌声は、私の口から漏れているらしい。
声とともに息を吐き続け、酸素を取り込めずに脳が痺れて、思考できない。自身を蔑み、憐れむ涙は溢れ続けるまま色が変わる。
摩擦で生じる熱なのか、身体の中心がことさらに熱い。直接触れ合う肌が熱い。脳みそが焼け切れそうなくらい、体中を駆け巡る血が熱い。
首筋を汗が伝う。熱い吐息が濡れた肌を撫でる。汗の軌跡を辿るように舐め上げられ、肌を吸われた。
首筋にあてられた唇の感触と強く吸われる快感と、背中を支える手のひらの温度と感触と、中心を握る手から施される摩擦による快感と触れ合う純の脈動とが、私を臨界へと連れて行く。
一際大きく伝わった脈動に促され、射精へと導かれる。生にしがみつく虚しい奔流が噴き上げる。
ふたり分のそれはふたりの身体の間でお互いを区別できないほど混じり合い、お互いを穢した。
「……死にたい」
いつもの希死念慮に、盛大な賢者モードが加わる。こんなことをして、純のパジャマと自身の部屋着をこんなに汚して。
「気持ちよくなかった……?」
「……それは……、……気持ちよかった……けど……。そういうことじゃなくて……」
「イッたのが恥ずかしいの? 私のほうが早かったのに」
「……そういうことでもなくて……」
純と話していると、自分がいったいなにをこんなに恥ずかしがって、悩んでいるのかわからなくなる。恥ずかしくて口に出せないから、余計に頭の中で霧散して。消えたわけじゃないからいつか澱になってまた噴出してしまうのだろうけど。
「……純は、いいの? 私とこんなことをして……」
「人とするのは初めてだったけど、気持ちよかったし……。矢晴だから、特別?」
――矢晴だから。
――特別。
純にとっては、そんな意味の深い言葉でもないだろうに、私は勘違いして、そこに格別の深い意味を感じてしまう。
「汗かいたし、着替えなきゃだし、お風呂はいろっか。一緒に」
私は純に誘われ促され、今日3度目の入浴をすることになった。
着手:2022/07/09
第一稿:2022/08/18
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