二次創作:パターンA・B・C

【共通パターン】(三人称、純視点)

「約束するなら、あれやれよ」
 頭を掻き抱き、耳元で囁くその声は、強い。
「さっきお前が言っただろ」
 さっき……、と言われ、純の脳裏には十数分前、薬を取りに行こうとする直前の行動が思い出される。口約束は信用できない! とダダをこねるような矢晴を威圧した、あの時。
『矢晴が契約書になる?』
 うなじにつけるキスマークを契約の印に。大人しくなるのなら、してもよかったししなくてもよかった。性的に襲われることに怯えていた矢晴なら、そう言えば硬直して離れると思った。今思えば、狡猾な嘘。
「手は使うなよ。ほら、印鑑を捺せ。お前が言ったんだ。お前が自分で言ったんだ」
 頭を抱かれ、耳元で囁かれるその声は、純を追い詰める。純自身が言ったことで、追い詰められる。
「証明しろ。約束と一緒に、私達の醜さも認めろ」
 自分の言ったとおりに、彼のうなじに印鑑を捺せば、証明になるのだろうか。『私は君を見捨てない』と言った、その約束が永劫だと、証明できるのか。
 自身の狡猾な嘘が首を絞める。自身の醜い心が、首を絞める。
『証明しろ。約束と一緒に、私達の醜さも認めろ』



(パターン A・B・C にそれぞれ続く)



【パターンA:できた】(一人称、純視点)

「私は……、約束するよ」
 矢晴の耳に囁くと、身動ぎできないほどに強く抱かれた腕がゆるむ。
「これが、証明になるのかどうかは、わからない……。でも……」
 鼻先で髪をかきわけ、目的の場所を探す。
「約束する。誓う。私は、君を見捨てない」
 この契約は絶対だと、矢晴のうなじを強く吸う。
 矢晴から見えない位置なのだから、つけたフリをしてしまうこともできる。だが、それをしてしまえば、私はまた、矢晴に嘘をつくことになる。この契約すら、嘘にしてしまう。
 皮膚を吸う、その行為で呼吸が出来ず、苦しさが増す。どれだけ吸えば、印がつくのかもわからずに、夢中で吸った。



【パターンB:できなかった】(一人称・純視点)

「…………できない……」
 矢晴に頭を掻き抱かれたまま、絞り出すように口にした。こんなことで、証明できるはずもない。
 自身の狡猾な嘘を矢晴から突きつけられた。自身がどれほど醜い人間なのか、身に沁みていた。
「できないけど、私が君を見捨てないことだけは、信じて欲しい」
「絶対も、約束も、証明も……、未来は不確かで、人の心は変わるかもしれないけど……、私は君を見捨てない」
 手を使うなと言われたけれど、自身の気持ちを伝えるために矢晴の背中に腕を回した。抱きしめるその体温が、生涯変わらぬ気持ちとして伝わることを祈って――。




【パターンC:できなかった】(一人称・純視点)

 矢晴に掻き抱かれた頭を動かすことも出来ず、流れる汗も止められず、矢晴に言われたことを実行することも出来ずに、硬直する。
 ――どうすればいいんだ?
 ――矢晴が望むとおりに、キスマークを付けてやればいい。それで満足するだろう?
 ――だって、そんなの……。証明になるの? 約束を信じてもらえる?
 ――矢晴は“口約束”を信じていない。身体に刻みつければ、否が応でも信じるしかない。
 ――だけど……。
 ――キスマークだってすぐに消える。いつかは曖昧になってしまう“約束”と同じだ。
 頭のなかで、何人もが騒ぎ立てる。議論は堂々巡りで、答えなんて一向に出ない。
 ――答えがないんだから、当たり前だろ。
 いったい何分、動けずに黙り込んでしまっていたのかはわからないが、不意に矢晴の腕の力が抜けたのを感じた。頭を掻き抱いていた腕が脱力したかと思えば、矢晴の呼吸が寝息のように聞こえる。ずるりと、私の身体から離れるように矢晴の身体がくずおれる。私は慌てて、矢晴の身体が床に落ちてしまう前に抱きとめた。
 眠ってしまって脱力している矢晴の身体を支えて、ベッドに横たえる。
 約束の印をつけることはできなかった。だけど、なんだか、矢晴の表情は満足げに見える。
 私の“約束”は信じてもらえたんだろうか。
 ――矢晴に信じてもらえなくても、やり遂げればいい。そうすることでしか、証明できない。
「……私は、矢晴を見捨てないよ」
 意識のない矢晴には聞こえていないだろうけど。――誓う。
 私は眠る矢晴の額に誓いのキスを落とした。





【おまけ】

――ドスンッ!
 なにかが落ちたような大きな音とかすかな衝撃で目を覚ます。以前にもあった頭内爆発音症候群だろうか、夢の中の音だったのだろうか、と寝起きのぼんやりした頭で考える。
 たしか昨日は矢晴と一緒に寝て、矢晴を抱きしめたまま眠りについたんだった……。
 と、傍らを見ると、矢晴の姿がなかった。
 広いベッドの上の、どこにもいない。
 途端、頭の中に最悪の想像が広がる。死にたがって、殺してくれと願った矢晴。死への願望が過ぎ去って一緒に眠りについたと思っていたけど……、まさか、そんな!
 あの落下音。なにかが落ちたような衝撃は――。
 慌てて窓に駆け寄る。カーテンを開けて、サッシの鍵を開け、サッシを開けると冬の冷たい空気が流れ込む。
 2階から飛び降りたって死ねはしない。大怪我をして苦しむだけだ。ベランダの手摺壁から身を乗り出して、矢晴の姿を探したけれど、どこにもいなかった。
 安堵すると同時に、背後から、遠く小さく、呼びかける声が聞こえた。
「……純……」
 矢晴の声だ! と部屋に戻るも、矢晴の姿はやはり見えず。
「……純……」
 もう一度聞こえた声が、ベッドの向こう側から発されていることに気づいた。
 慌ててベッドに乗り、ベッドの向こう側を覗き込む。果たして――。クローゼットとベッドの間に、ふたり分の掛け布団に埋もれた矢晴が、落ちていた。
 どうやら、私がベッドから押し出してしまったようだ。
「……純……、助けて……」
 ふたり分の掛け布団に絡め取られて、矢晴は身動きできないようで。私に助けを求めてかろうじて隙間から手を差し出す。
「矢晴、ごめんね。……大丈夫? 怪我してない?」
 矢晴を掛け布団から解放し、身体を起こすのを手助けする。
「……うん。大丈夫……。寒いだけ」
 そう答えながらベッドに座り直した矢晴が、身震いする。開け放した窓から冷たい風が吹いていた。矢晴の無事を確認し、慌ててサッシを閉めに窓に駆け寄る。戻るついでに時計を見れば、朝食にもずいぶん早く、矢晴の起きる時間としてもかなり早い時間ではあった。
「矢晴、どうする? もっかい寝る?」
「……いや……、起きるよ」
「早いけど朝食にする?」
「ん……、まだ、いいかな」
 そう答えながら、矢晴の視線はサッシの向こうに向けられる。
「……いい、天気だね」
 この部屋の窓の向きでは、この時間に日差しは入らないけど、昨日の夜の雨に洗われたような空はきれいな晴天だった。
「あ、それじゃあ、朝日を浴びよう! 外の空気は冷たいから、上着を着てね」
 と提案し、昨日の夜に矢晴が着ていたダウンを渡す。今のこの部屋の気温も私のせいで外気温と変わらない。こんな寒いところに矢晴をそのまま置いておくわけにもいかない。
 矢晴は私の渡したジャケットを受け取ると、ドアの近くに移動した。
 東向きのベランダとはいえ、冬の空気は冷たいのだから暖房と、あとあったかい飲み物も欲しいかな。そう考えながら、ベッドから落としてしまった掛け布団をベッドに戻し、自分用の上着をクローゼットから取り出して、着込む。
 ダウンジャケットを着込んだ矢晴はドアの前で待っていた。
「おまたせ。さあ、行こう」
 まずはキッチン。私は部屋のドアを開け、矢晴と一緒に寝室を出た。



 






着手:2022/08/11
第一稿:2022/08/11



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