二次創作:矢晴のバイト(6)

 雇用契約を通いのアシスタントから住み込みのアシスタントへと変更し、アパートを引き払って、上薗純の家に、引っ越した。
 あてがわれた自室は、いつも泊まる時に使っていた1階の洋室。以前の住まいよりも広い部屋。私の荷物は少なくて、備え付けのクローゼットにほぼすべて収まる。
 ベッドもそのまま使うことになっていたから、古い布団は捨ててしまった。
 持ってきた机とパソコンは設置したから、ネームや下描きは自室でもやれるだろう。仕事場で使っているパソコンに比べればずいぶんと処理速度が落ちるから、原稿作業までは厳しいかもしれないが。ハイスペックの快適さを知ってしまった今、後戻りは難しい。
 開け放したままのドアをノックされ、視線を向けると上薗純が立っていた。
「古印先生、片付け終わりました?」
「ええ、だいたいは」
 荷解きというほどの荷解きはしていない。ほとんどは運んだダンボールのままクローゼットに押し込んだ。次の引っ越しに備えて、と言い訳するが、ただのずぼらだ。
「じゃあ休憩してお茶しましょ♪」
 私の雇い主でありこの家の家主である上薗純は、上機嫌にそう言った。

 いつもと変わらぬティータイム、のように思うが、テーブルを挟んで向かいに座る上薗純はいつもよりも上機嫌で、そしてまた、供される茶菓子はいつもよりも高級品な雰囲気がある。
「古印先生がうちに住んでくれるのが嬉しくて、お祝いに張り込んじゃいました!」
 私のために、特別に。なんだかくすぐったく、照れくさく。照れ隠しに微笑めば、純の頬が少し染まった。
「……それでですね、ちょっと提案なんですけど……」
 ティータイムを愉しみながら談笑し、少し会話が途切れたとき、少しだけ改まった表情で純が切り出す。
「お互い敬語やめません?」
「え?」
 純は私よりも年下とは言え、雇い主で家主なのだから、明確な上下関係がある。私にとっては上役なのだから、純が私に敬語を使わなくとも問題はないだろうが、私が敬語を外すのは非常識に思う。
「私、ルームシェアで暮らすの夢なんです。古印先生にも、この家で気兼ねなく過ごしてほしいですし。だったら友達みたいにお互い呼びタメにするほうが気楽かな〜って思うんですけど……」
 呼び……タメ……。呼び捨て……タメ口……。雇い主を、呼び捨て……。年下から、呼び捨て……。さすがにそれは……、と躊躇するが、友達同士のルームシェアの体裁と考えると、敬語を使い続けるのは気を使うし他人行儀でいただけない。
 これまでの数ヶ月、共に仕事をして、また私の漫画の作業を共にして、共に食事をし、会話も弾み、仲良くなれない気配を感じたことはない。漫画家の先生とアシスタント、そして漫画家とファンの垣根を超えて、友達になれる気もした。
 それでも……。
「古印先生?」
 純からの呼びかけで、思考に沈んでしまっていたことに気づく。ああ、そうだ、呼び方を変えるなら、これも――。
「じゃあ、あの……友達みたいに呼びタメ、でいいんですけど……、その「古印先生」というのも今後はナシの方向で」
「えっ!?」
 上薗純が心底驚いたような顔をする。そして、あーとかうーとか呻きながら考え始める。自身で呼び捨てタメ口を提案しておいて、そこに気づいていなかったのかどうなのか。呻くのに合わせて揺れる身体がかなりの葛藤をうかがわせる。
――それほどまでの重大事だろうか……?
「……絶対……ダメですか……?」
 私が叱ったわけでもないが、純は叱られた子犬のようなしょんぼりした顔をして、上目遣いで私に懇願するような潤んだ瞳を見せてくる。そんな図体でそんな顔は……反則だ。
「…………絶対、とまでは言いませんが……」
 ついうっかり、折れてしまった。
 純は私の言葉にぱあっと顔をほころばせ、嬉しさに色づいた笑顔を咲かせる。
「やったぁ! じゃあ、これからよろしくね! 矢晴!」
 上薗純の切り替えの速さは天下一品と言う他ない。感情に素直でコロコロと変わる表情は、見ていて飽きない。
「よろしく……、……純」
 私はそんなに早く切り替えられず、慣れない呼び捨てに緊張してしまった。












着手:2022/05/18
第一稿:2022/06/02


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