二次創作:初めての年越し

  純の家に住み始めて1ヶ月半が過ぎ、純と一緒に寝るようになって半月も過ぎ。いよいよ年の瀬、純の家での初めての年越しを迎える。
 まだこの家に住んで2ヶ月と経っていないのに、すっかり馴染んだコタツに埋もれて、台所に立つ純を眺める。
 なにやらまた新しい調理家電を買ったようで、純は嬉しそうに荷解きしている。
 荷解きもされず開封もされずにクローゼットに詰め込まれた家電たちを思えば、荷解きされ、一度でも使われるのは幸せなのだろうなと思う。
 不意に、私自身が純の衝動によってあの部屋に詰め込まれた家電たちと同じなのではないかと、淀んだ思考が這い上がる。
 使われもせず、本来の性能を発揮することもさせてもらえず、ただ純の物欲を満たし忘れ去られるだけの存在。手に入れて、そこにあるだけで純が満足し、仕舞い込まれたまま、じきに存在も忘れられて時代遅れになっていく――。
 悍ましい思考に支配されそうになり、反射的に首筋を撫でる。そこにあるはずの印を指でなぞり感触を思い出せば、次第に心が落ち着いてくる。
 ここからでは純がなにをしているのかは詳細にはわからないが、作業の途中に度々タブレットを見ているから、なにかのレシピでも確認しているんじゃないかと思う。
 なにかを量って容器に入れ、かき混ぜて、温度を計り。なにかを量って容器に入れ、かき混ぜて、真新しい調理器具にセットしてスイッチを入れて。
 純の表情は、なにごとかやり遂げた笑顔で誇らしげに見える。
「何ができるの?」
 純の笑顔に興味を惹かれて、聞いてみた。けれど、純は明日のお楽しみだよとウィンクして寄越すだけで教えてはくれなかった。

 大晦日といえども、特に普段と変わらない。
 違うことと言えば夕食が年越しそばだったことと、テレビ番組が年越しムードに染まっているだけで、いつもどおりに夕食後に風呂に入り、少しばかり団欒した後、2階の寝室に向かった。
 電気毛布の滑らかな肌触りと温かい布団につつまれ、隣で寝る純と眠くなるまで他愛ないおしゃべりをする。もっぱらしゃべっているのは純で、先に眠ってしまうのも純だけれど。
「今年はね、とってもいい年だった。矢晴と暮らせるようになったから」
「……うん」
「来年もね、矢晴と一緒にいられたら、とってもいい年になるよ」
 なんの根拠もないことを臆面もなく言ってのける純に、気恥ずかしさが募ってなんだか体が熱くなる。
「矢晴にとっても、いい年になるといいなって思う」
「……ん」
 私にとってのいい年、というのがどんなものかはわからないが、今の生活は明らかに以前よりは向上していて、良い暮らしをさせてもらえているんだと思う。純に見捨てられなければ、これからもこの暮らしが続いていくのだろうとは思うが、果たしてそれが私にとっていいことなのかどうかも判断は難しい。
 このまま、純に寄生して生き存えて、純の家に仕舞い込まれて何もせず――。
 首筋に触れる自分の指先が冷たい。電気毛布で充分に温められているはずの全身が急速に冷えていくような気がして身震いする。
「矢晴? 寒い?」
 純の手が、私の手を取る。純の体がするりと私の領域に入り込み、純の腕が私の体を抱きしめる。純の大きな手のひらが背中を撫で、全身に純の体温を感じる。
 純の優しさとぬくもりを感じるたび、自身の無価値さと惨めさが思考を埋め尽くすのに、純に触れられて抱きしめられていると身体は勝手に別の回路をつなぐ。
 純の体に縋り付くように腕を回し、純の体に密着するように身体を押し付ける。純の体臭と体温によって私のなかに産みつけられた興奮が私の中心を熱くする。
「……矢晴。辛いね。しとく?」
 耳元で囁く純の声と息が、より一層興奮を煽る。
「ちょっと待っててね」
 と、離れた純に、羞恥から背中を向ける。が、それは背中に誘っているのと同じで、戻ってきた純は枕元にティッシュのボックスを置くと、私の布団にするりと潜り込み、私を背中から抱きしめた。
 すっぽりと純の身体に抱かれ、純の長い腕が私の胸を腹を撫でていく。上着の裾から侵入し、肌を直接撫でる純の手のひらを熱く感じる。焦らされている気がしてもどかしさに身を捩ると、スウェットのズボンが下着ごとずらされた。
 布団のなかで性器が露出され、純の手がやわらかく包み込む。ただそれだけで期待に高鳴り、湿度の高い吐息を漏らした。
 いつもと変わらぬ手順で性感を高められ、はしたない喘ぎ声が口から漏れる。
 初めて純とこういうコトをした時には、あまりの羞恥に手で口を押さえつけて声が漏れないようにした。そんな私に純は『我慢しないでいいよ、ここには私達ふたりだけしかいないし。……矢晴の声を聞かせてよ』と脳みそに直接流し込むような甘い声でささやいた。
 背中全体に感じる純の体温。耳をくすぐる純の息遣い。純の手で与えられる刺激は確実に私を絶頂へと導く。
 純が私に施すのが慈しみなのかいたわりなのかは知らない。知りたくもない。純にとってこの行為はただの性処理で私を介護する一環でしかないのかもしれない。現に欲情して興奮しているのは私だけで、純は私の身体に欲情すらしない。
 純の言っていたことを信じるのならば、純の性対象は2次元で、私の存在は3次元なのだから、そもそも純の対象ではない。次元の壁は超えられない。
 純の言っていたことを信じるのならば、純自身はこれまで他の人間と肉体で交わったこともない上に、これからも肉体の交わりを体験することがないのだろう。外見だけを見ても高スペックで引く手あまたにモテそうなのに、人間を対象にしないばかりに生涯童貞で過ごすのだろうと思うと哀れにも思う。
 けれど、今、純は私に施すだけとはいえど、私に対して性的な接触を厭わない。純の対象が2次元であることは、他の人間に純が奪われることがないということで、それだけは私を安心させる。
 純がこういう行為をするのは私に対してだけで、私だけが純の特別なのだと思えば独占欲が満たされて優越感で気分は良くなる。
 そんなきたない思考に自分自身への嫌悪すら涌いてくるが、脊髄を通って純の体温に増幅された快感が脳を痺れさせ、喘ぎすぎて酸欠状態の、快楽物質に満たされた脳みそは思考を消し溶かす。
「……ッ! 純……、純……ッ」
 こみ上げてくる射精感に恐怖にも似た衝動で純の腕にしがみつく。純は刺激を緩めずさらに敏感な先端を包み込む。強すぎる快感の奔流から逃げたくて腰を引いてしまうが、純の身体に密着するだけでどこにも逃げ場はなかった。
「いいよ、矢晴。出して」
 純の声とその言葉が引き金を引き、快感が身体中を駆け巡る。震える身体が絞り出した精液は純の手に受け止められた。
 痺れたままの脳みそでぼんやりとしている間に、純は枕元に置いたティッシュで私の吐精で汚れた手を拭い、追加で数枚取ると、布団の中に手を戻して私の性器まで拭き清めた。
 着衣を整えられ、改めて純が私の身体を優しく抱きしめるように腕を回してくる頃には、冷静になった脳が賢者モードに移行する。
 自慰行為ですら純にやらせて、後始末すら自分でできない自身の情けなさに涙が溢れそうになり、すすりあげる。
「矢晴。矢晴……こっちを向いて」
 純の懇願にも似た声音に従い、身体の向きを変えた。
 正面に見える純の表情は涙で滲んでよく見えない。背中に回る純の手は、温かく背中を撫でる。
「私は矢晴が好きだよ」
 そう言いながら純の顔が近づいてくる。見えないほどに近づいた純の唇が私の目から涙を奪っていく。
「私は矢晴が好きだよ」
 呪文のように繰り返して、もう片方の目からも涙が奪われる。
 視界いっぱいに純の優しい笑顔が見えた後、もう一度純の顔が近づいてきて、唇を奪われた。
 1年の終わるその時を、純は私を抱きしめて過ごし、1年の始まるその時を、私は純と抱き合って迎えた。

 夢の名残のような幸福感とともに目覚めたものの、覚醒するにつれ、広いベッドのなかにひとりでいる現実が不安を引き寄せた。
 いつもならば朝の定時に起こされるはずなのに、ベッドサイドに置かれた時計を見ると朝はとうに過ぎている。
 不安な気持ちを抱えたまま階下に降りて、リビングの扉を開ける。キッチンに視線を向けたがそこに純はいなくて、不安だけが増大する。
「あ、矢晴、おはよう。よく眠れた?」
 リビングの入り口に立ちすくんでいたら、純の声がして、声のする方へと顔を向けた。純は広いリビングの奥の小上がりの和室にいた。
 いつから用意していたのか、和室の真ん中にはコタツが置かれ、天板の上にはお取り寄せしたのだろう豪華なおせちやオードブルが並べられている。床の間には鏡餅が飾られていて、いかにもなお正月の風情がある。
「……ちゃんとしてるんだな、純は……」
 整えられた伝統的な正月の様式に、純の育ちの良さがうかがえる。それにひきかえ――。
「矢晴と過ごす初めてのお正月だからね!」
 はりきっちゃった! と、はしゃぐ純の笑顔に、自身と純とを比較してしまう思考は霧散してしまった。

「あけましておめでとうございます」
 改めて身支度を整え、和室に揃って新年の挨拶を交わす。かしこまった挨拶は気恥ずかしくもあるが、人として正しくあれるようで清々しくもある。
 和室に用意されたコタツはリビングのコタツより小さくて正方形だから純との距離も近い。所狭しと並べられた料理は華やかで豪華で正月気分を盛り上げる。
 正月用に買い揃えたものなのか、ハレの日にしか使わないものなのか。初めて見る華やかな色柄の小ぶりの湯呑に、純はなにやら白い液体を注ぎ入れ、私によこした。
 ほんのり温かく、たちのぼる香りは甘い。
「お正月だからね、甘酒だよ」
 “酒”という言葉に身体に緊張が走り、湯呑を取り落としそうになる。
「米麹で作った甘酒だからアルコールも入ってないし、飲む点滴っていうくらい栄養満点なんだって」
 硬直してしまった私に気づいているのかいないのか、純はペラペラと説明してくれる。
「冷え性とかにもいいらしいし、矢晴にぴったりかなって思ったん、だけど……」
 私はどれだけひどい顔をしているのだろうか。心配そうに表情を曇らせた純が、湯呑を持つ私の両手を包み込む。
「……怖いなら、やめておこうか」
――怖い。“酒”と名のつくものを飲んで、また飲酒への渇望が自身のなかに蘇ってしまうのではないかと思うと、とても怖い。
「アルコールが入ってないことは保証するよ。昨日、私が作ったものだから。米麹とね水とご飯を混ぜて、ヨーグルトメーカーで作れるの。米麹で一晩発酵させて甘くなるんだって」
 純の言葉に、昨日の純の行動が頭の中で再生される。新しく買ったのだろう調理家電で、なにかを混ぜて、セットして、楽しそうに嬉しそうに笑っていた。
 ハレの日を私と祝うために――。私の身体に良いものをと――。
 あんなに楽しそうに、嬉しそうに――。私のために――。
 明日のお楽しみだよ、とウィンクした純は――。
「……大丈夫だよ、純」
 湯呑のなかの甘酒の温かさと、両手を包む純の手のひらから伝わる温かさとで、身体の緊張は溶けていくようにほぐれていく。
 本当に、大丈夫だと伝えたくて、純に笑顔を向けたつもりだけれど、ちゃんと笑えていただろうか。

 これから純との新しい1年が始まる。
 純の手作りの甘酒の味わいは、幸せを予感させた。















 


着手:2022/12/31
第一稿:2023/01/17


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