二次創作:二人称
あなたは待ち合わせの駅に降り立った。改札を出て、あたりを見回す。待ち合わせの目印の背の高い時計が目に入る。視線を下げると、時計の下には数人の男女が集まっているのが見えた。
真ん中にいるひときわ背の高い男性は雇い主でもあり尊敬する漫画家の望海可純だ。周囲にいるのはアシスタント仲間。といっても、基本的に在宅での作業ゆえ、直接顔を合わせるのは初めてのメンバーもいる。
「遅くなってすみません!」
あなたは待ち合わせ場所に駆け寄り、頭を下げる。遅刻はしてないが最後のひとりらしい状況に申し訳ない気持ちがあふれてしまった。
「遅れてないから大丈夫だよ〜」
あなたに向けられた望海可純の明るい笑顔に救われたような心持ちになる。
今日は、望海可純の自宅に招かれての忘年会だ。本来ならば先週行われた出版社の謝恩会の後にどこかの店で二次会を兼ねての忘年会をする予定だった。が、今年の謝恩会は天候不良を理由に望海可純が欠席することにしたため、さすがにアシスタントだけで謝恩会に参加することなどできず、別日に忘年会を、という話になった。
『担当からすごくいい肉たくさんもらったから、楽しみにしてね』というメッセージとともに添付された桐箱入の肉の写真に、アシスタントのグループメッセージは沸き立った。あなたも多分に漏れず歓喜のメッセージを送った。
望海可純の自宅に行けるという喜びと、普段の生活では絶対に食べられそうにない肉への期待とであなたの胸は高鳴っている。
「じゃあ2台に分かれるから、どっちに乗るか決めてね」
望海可純の車と、タクシーと。できることなら先生の車に! と思うのはその場に集まったアシスタント全員の総意で、緊張が走る。張り詰めた空気のもと、あなたは白熱のじゃんけんで勝ち抜けし、望海可純の車に乗る権利を獲得した。
欲をいえば助手席に座りたかったが、助手席には鞄が鎮座していて、あなたは他のメンバーとともに後部座席に乗り込んだ。
あなたは望海可純の運転する車に乗って、望海可純の自宅へと向かう。すぐ後ろに残りのメンバーを乗せたタクシーがついてきていて、通話をつないでいるからみんなで会話する。
肉以外の材料や飲み物は途中でスーパーに寄って調達することになっていた。
スーパーを一巡りして、必要な材料をカゴに入れる。カートを押すのは望海可純で恐れ多い気持ちになるが、慣れた所作で小回りを利かせる珍しい姿を見られて内心嬉しい。
「アイスも買っていいスか?」
物怖じしないひとりが主張する。支払いは先生だからといって増長しすぎじゃないかと心配にもなる。けれど望海可純はニコニコとしてみんなが自由に買い物するのを楽しんでいるようだった。あなたはそんな望海可純の様子を見て、安心してアイスを選ぶみんなに合流した。
「あ、そうそう。うち、今療養中の同居人が居て、ちょーっと人見知りする人だから無愛想かもしれないけど気にしないでね」
けっこうな量の材料その他を協力して小分けに袋詰しているときに望海可純がみんなに話す。療養中、という言葉がひっかかる。そんなときにこんな大人数で押しかけて大丈夫だろうか。
「うん、大丈夫。人と会うのもリハビリみたいなものだから、気にしないで楽しんでね」
「はーい」
望海可純の車の助手席とトランクに買い物袋を詰め込んで、その後は寄り道せずに目的地へと向かう。
住宅街からほんの少し外れた田園地帯。望海可純の家は大きかった。
望海可純がタクシーに料金を支払っている間に、ガレージに停めた車からアシスタント全員で荷物を下ろす。それぞれ買い物袋をぶら下げて、望海可純の自宅へと招き入れられた。
「ただいま〜そしてようこそ〜♪」
「おじゃましまーす」
望海可純の先導で広い玄関から廊下を進み、リビングへと案内される。
――ここが望海先生のご自宅!!
あなたはすべてを目に焼き付けようとキョロキョロとしてしまった。
広いリビングに入ると、奥のほうに人が居た。くつろいだ格好からして、あの人が先生の言っていた同居人の方だろう、とあなたは考え、みんなとともに礼儀正しくあいさつをする。
「すすすみません今すぐ退きますすみません」
予想外に素早い動作と慌てた口調でリビングを出ていこうとする同居人はドアに到達する直前で踵を返し、望海可純の元へ行く。こんなスピードで動けるのなら療養中とはいえそれなりに元気ではあるのだろう、とあなたは安堵した。
それにしても、望海先生の同居人とはいったいどんな素性の人なのだろうか。望海可純と同居できるなんてなんとも羨ましいが、もしかしたら望海先生の資産を狙って寄生する詐欺師の類かもしれない、と心配になる。
若くして億を稼ぎ出すようになった売れっ子漫画家の望海可純は純粋で、その人の良さにつけこむ輩がいないとも限らない。時折、ワイドショーで売れっ子タレントを食い物にする占い師だとか売れっ子歌手の稼ぎを使い込む付き人だとかの話題を見ることがある。もし望海可純の同居人がそんな不埒な人間だったら……と思うと、謎の使命感があなたの心に燃え上がる。
とはいえ、ただのアシスタントが先生の同居人の素性をあれこれ詮索するのもおかしな話ではあるし、先生の親戚だったりするかもしれないし。と考えたあなたは、とりあえず名前だけを聞いてみた。
「彼? 後でちゃんと紹介するけど、福田さんだよ」
先生とは名字が違う! 怪しい! と短絡的に思ったものの、“福田さん”を見る先生の目は優しくて、嬉しそうで、とても騙されている人間には見えない。つけこんでお金を使い込んだり寄生したりするような人が先生の頼みに応えてコタツや鍋の準備をせっせとしたりするだろうか? と思うと、疑いの心を持ってしまったことが申し訳ないような気もしてくるが、それでもやっぱり得体のしれない人が望海可純の自宅に住み込んでいるのは何故だろう、という疑惑だけはあなたの心にしつこく残った。
鍋の準備も整い、全員に飲み物も行き渡る。開会の前に望海先生から福田さんを紹介され、アシスタントそれぞれ軽く自己紹介をした。福田さんはなんだか落ち着かない様子で顔色も悪く見える。人見知りということだったから緊張しているだけならいいけれど、とあなたは少しばかり心配になった。
「みなさん! 今日来れなかったアシさん含めて、今年1年大変お世話になりました! そしてお疲れ様でした!」
「お疲れ様でした〜!」
望海可純のあいさつで忘年会が始まる。
目の前の鍋ではとてもいい肉がいい具合に煮えていた。
望海可純の号令で、各自思い思いに箸をのばす。目的はやっぱりとてもいい肉。
「うっま」
と誰かが叫んだけれど、激しく同意するくらいに、あなたが口に運んだ肉は蕩けるほど美味しい。とてもいい肉のおかげか普通のスーパーで買った野菜も格段に美味しくなっている。
望海可純のそばに座る福田さんもあまりの美味しさに衝撃を受けている様子があなたには見えた。
「めちゃくちゃ美味くない?」
「1週間前に担当からメチャいい肉たくさんもらったんだ! だからみんな呼んだの」
「いい肉すげぇ」
ふたりの会話はとても親密そうに聞こえる。集まったアシスタントは望海可純が雇い主ということもあって敬語で話す。福田さんは同居人ということもあってか望海可純とお互いタメ口で話している。それほどに長い付き合いなのか深い付き合いなのか。
しかしながら、福田さんのおかげで普段仕事中の先生の様子からはうかがいしれない素の状態らしい姿が見れて、あなたは内心うれしくなった。
ひとしきりとてもいい肉を堪能し、食事しながらの雑談は漫画の話になっていく。望海可純のプロットの話やストーリーのアイディアや肉付けの話はとても為になった。明日からでもすぐに取り入れられそうで、あなたは試してみたくてうずうずする。
漫画家のアシスタントをしているがアシスタント専業を目指しているわけではない。漫画家の卵として漫画家を目指している過程でのアシスタント業。望海可純のような売れっ子の漫画家に雇われたのは僥倖だ。そしてまた、売れっ子漫画家のノウハウをじっくり聞けるこの機会が楽しくて仕方がない。
「読切の作り方が分からないんです。ちょーど31Pになる話の思いつき方を知りたいです」
「“読切”ですかぁ。最近全然描いてないしなあ……」
質問を受けた望海可純がチラッチラッと意味ありげな視線を投げるのに気づいたのは福田さんとあなただけ。視線の先にいる福田さんは望海可純の仕草に気分を害したような表情をして無言で食事を続ける。
望海可純の視線の意味はわからないが、なにかしらの発言を福田さんから引き出したかったのだろうとあなたは想像する。“読切”に関連することだろうとは思うが、実は福田さんは短編作品の名手だったりするのだろうか?
視線を無視された望海可純は気にすることなくアシスタントの質問に答える。そういった状況も流せるくらいのふたりの関係。あなたはますます興味をつのらせた。
和気あいあいとした質疑応答、創作談義の状況が少し変わってしまったのは、次に質問を投げた最年少のアシスタントの発言からだった。
「あ!! 私、事が起こってから学習するタイプです! 私すぐ周りが見えなくなるんです!!」
と配慮のない大きな声に隣に座っていた福田さんもびっくりしていた。
そこからの彼女はやらかしエピソードをマシンガンのように話し続ける。途中、望海可純の話も遮り無視した形で彼女の話は続く。明らかに今の彼女は彼女が話すとおりに周りが見えていないのだろう。
「一周回って面白くてズルいな山渕。途中で先生のことも一回無視してたし」
言われてやらかしたと落ち込む彼女を隣に座るアシスタントがなだめている。あなたはあそこまでひどくはないが、と思うものの自身にもそんなやらかしがあるような気がして、掛ける言葉が見つからない。彼女の隣に座る福田さんはなにかしら思うところがあるような表情で頭を抱える彼女を見ていた。
「夢の話……なんですけど」
唐突に福田さんが口を開く。それまで一切会話の輪に入ってこなかった福田さんが口を開いたことにも驚いたが、その切り出しが“夢の話”だなんて、そのまま怪しげな話に発展するのではないかとあなたを含めたアシスタント全員が固唾をのむ。
が、予想に反して、福田さんの話は理路整然としていて理知的で、思いの外饒舌で驚いた。山渕さんに通じているのかどうかはよくわからないが、福田さんの話は山渕さんのやらかしの原因を解き明かそうとしているようだった。
「……えーっと!」
話が途切れたところで、望海可純が声を出す。
「元々の話は、経験をしないとキャラクターは作れないのか? って話だったよね」
ずいぶんと話がそれていたが、たしかに元々の質問はそんな感じだったなと、あなたはやや遠くなった記憶を引き戻す。
「矢晴、君はどう思う? 経験しないと創造は生まれないと思う?」
望海可純は同居人の福田さんに話を向ける。矢晴、というのが福田さんの名前なのだろう。お互い呼び捨てで親密で、遠慮のなさそうな関係。わざわざ話を向けるということは、福田さんは創作に関わる人なのだろうか。
「さぁ? 私は根っからの出不精ですんでなんの経験もないし漫画家じゃないし、そういうことは色んな事を経験した作家に質問すべきじゃないですかね」
「絶対に経験値がキャラクター創作力だとした時、なんの反論もないの?」
なんだかバチバチしてそうなふたりの雰囲気。煽るような望海可純の表情と言葉に福田さんはしばし黙考し、ゆっくりと話しだした。
「人間の意識は複数あります。それを掘り出します」
最初から何を言っているのかよくわからなかったが、ますますわからない。望海可純は興味深そうに聞いているが、他のアシスタントの表情は理解不能と警戒が浮かんでいて話の行方を探っていた。
「創作の話どこ行ったんスか?」
福田さんの話にうっとりと聞き入っている様子の望海可純に命知らずがひそひそと話しかける。望海可純は明らかにムッとした顔をしていることにあなたは気付いた。こっそりと話しかけたつもりなのだろうがあなたにもその言葉は聞こえているのだから正面で話す福田さんにも聞こえているだろうと思い、あなたはヒヤヒヤとする。
福田さんはそれが聞こえていたのかいなかったのかわからないが、程なくしてキャラクター作成の話になった。長い準備を経てようやく本題へ。
やっと分かる話になってきた、とあなたはホッとする。福田さんの話を真に理解している人はこの場にいるのだろうか? 自身の思考、意識を分解し数多の人格、意識を分析するなんて、とてもついていけそうにない。そんなことをしていたら自分自身を見失って病んでしまうのではないかと思う。
「それを繰り返すと性格に「個性」が生まれます。同じ目にあっても反応がバラバラの生き物がたくさん生まれるはずです」
複数のキャラクターを作成するにはこうすればいいのか、とあなたが話の終わりと思った時、望海可純が立ち上がって「って手順でキャラが完成し――」と話を継ごうとしていた。けれど。
「そこまでできたらキャラクターに複数の意識を付け加えましょう」
福田さんの話はまだ続いていた。最初に自分の意識に向かって行なっていた分析・分解をキャラクターに対しても行う。そうすることで、キャラクターの人間味が増す、ということだろうか。
そこまでできたら、本当に人間らしい厚みのあるキャラクターになる気はする。気はするが、あなたは実践できる気がしない。アシスタント仲間を見回しても、福田さんの話を理解できていそうな顔は見当たらない。この場で話を理解できているのは望海先生だけみたいだ、と興奮に頬を染めた望海可純を見て、あなたは思う。
理解が得られていないようだと気づいた福田さんは別のアプローチを示す。が、そんなことできるはずがない! と叫び出したいくらいに難しい方法。それをこともなげに話す福田さんはどれほど記憶力に長けているのだろうか。
福田さんと山渕さんとの会話に移行して、すっかり興味を削がれたアシスタント仲間はそれぞれに片付けを始めたり、デザートのアイスの話を始める。
「ああ君たち、経験が少ないならいっぱい調べたり考える時間を他人の100倍持てばいいってことだよ」
望海可純がいささか乱暴ながらも話をまとめる。福田さんほどの記憶、経験、思考を得るには確かにそれくらい必要だろうとあなたは思う。
「100倍とか物理的に無理なこと言うな。見たものを思い出すだけでいいんだよ」
福田さんはにこやかに望海可純をたしなめる。そんなふたりの様子を見ていて、あなたは気づいてしまった。
望海可純が福田さんと同居している理由。福田さんが何をしている人なのかはわからないが、なにかしら創作に携わる人なのだろう。その才と知性に望海可純が惚れ込んでいるのだ。
その証かのように、興奮に紅潮した望海可純が鼻血を垂らす。慣れた所作でティッシュを差し出す福田さんの様子とあわせて、あなたにはふたりが熟年夫婦のようにも見えた。
片付けの後は、映画を見ての展開予想大会。たしかにこれは勉強になる。みんなそれぞれに着眼点が違って興味深いし、なんでもかんでも爆発に持っていこうとする望海先生は至って真面目で面白い。
あなたはこの遊びを家でもやろうと決意した。他の人はどう考えるのだろう、というのも合わせて考えるようにしたら、福田さんの言っていた意識の分解に近づけるかもしれない。ただ望海先生の爆発だけは参考にならない気がした。
普通に視聴するよりも長くかかったはずだけれど、楽しくてあっという間だった気がする。外はすっかり夜になっていた。
望海可純の呼んだタクシーが玄関前に到着し、忘年会はお開きになった。
福田さんも玄関の外まで見送りに来てくれていて、あなたは福田さんが詐欺師かもしれないと疑ったことを少し反省した。
望海先生からお年玉をいただいて、あなたは帰路につく。
忘年会は楽しかった。望海可純の自宅に招かれ、とてもいい肉をごちそうになった。予想大会でかなり近い展開を予想できて正解賞品としてPFOAフリーのフライパンをもらった。為になる話もたくさん聞けた。なによりの収穫は、普段絶対に見ることのできない望海先生の姿を拝めたことだろう。
あなたは満ち足りた幸福感と福田さんへの感謝の気持ちと創作意欲とが胸にあふれ、自室へと向かう足取りは軽かった。
着手:2024/06/11
第一稿:2024/07/23
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