二次創作:ご近所

  大荷物を抱えて帰ってきた私を出迎えた純は、荷物を受け取りながら「買い物してきたの?」と訝しむこともせずに言う。
「お金持ってないのに、買い物なんてできるわけないよ」
 と答えれば、純はやっと不思議そうに首をかしげた。
 私が自分で金銭を持ち歩かなくなったのはこの家に来た翌日から。純に財布を預けて、酒を買ってしまわないようにと願い出た。一度、通院の交通費としてチャージしたICカードを持ち出して酒を買ってしまったことはあるが。
 そんな失敗からこっち、電子マネーを含めて金銭を持って外出したことはない。ひとりでは買い物ができないというのに、だったら、この荷物はなんなんだ、という話だ。
「純は、私のこと、ご近所になんて言ってるの?」
「え? 別に、なにも言ってない……と思うけど……」
「散歩の帰りに商店街通ったら、八百屋の店主に『大先生!』って呼ばれたんだよ? なんなの、それ」
「あー……」
 純の表情から察するに、心当たりはあるらしい。
「こないだ、一緒に買い物行ったじゃない? 八百屋さんに『べっぴんさん連れてるねえ』って矢晴のこと褒められたから……つい……」
「つい?」
「嬉しくて……『私の尊敬する先生なんですー』って言っちゃった……」
 単行本の総発行部数が1400万部を突破する売れっ子漫画家である望海可純先生の、尊敬する先生、なんて一般人からしてみたら、たしかに『大先生』になってしまうのだろう。
 若いのにこんな豪邸に、と近所に怪しまれるよりは、正体を明かしておくほうが安心安全なのかもしれないけれど、純が望海可純だと知られているのはかまわないが、私が純の『大先生』なんて呼ばれるのは、正直、困る。私なんて、今は漫画も描けなくなった、発行部数も純に比べたら極わずかの、零細漫画家だったのに。
「でも、八百屋さんにしか、言ってないよ?」
「そんなの、一人に言ったら商店街全部に言っちゃったようなものだろ」
 八百屋に呼び止められて、お金持ってないからって断ったのに、持っていきなよ望海先生とまた来てねーなんて押し付けられて! 聞きつけた他のお店の人からも、あれもこれもって持たされて! 純のご近所付き合いもあるだろうから無下にもできないし! もう、あの商店街行けないよ!
 と、捲し立てれば、私の剣幕に純はうなだれ「ごめんね、矢晴……」と消え入りそうな声で言う。本当に反省しているらしい声音だけれど、見上げた表情は、なんだか気落ちしているような嬉しそうな、不可思議な顔。
「なんなの、その顔」
「え?」
「謝ってるのに笑ってるみたいで。私のこと馬鹿にしてるの?」
「え? あ! 違う違う! 言っちゃったことは、本当にごめん! でも、矢晴が私のご近所付き合いのこと考えてくれてるのが、嬉しくて!」
「そんなこと……」
 こんな豪邸を建ててまで住んでいるということは、ほとんど終の棲家とする気だろうと、私のせいでおかしな噂や問題になって純が住みづらくなるなんて以ての外と思う。
「えへへ、大事にされてるって思っちゃっていい?」
「……は?」
 そんな許可を求められても、困る。思いたければ勝手に思っていればいいじゃないか。あまりの恥ずかしさに純の問いかけに答えないことを誤魔化すために、荷物を抱えてキッチンへと向かった。












着手:2022/08/19
第一稿:2022/08/19

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