二次創作:出会い記念日

 秋の終わり。カレンダーを見ていて、ふと気づく。
 カレンダーには同居人である福田矢晴と、家主である私、上薗純のスケジュールを書き込んでいる。それぞれの〆切、打ち合わせの予定、休日の予定――。
 自宅仕事の漫画家だから世間一般の祝祭日なんてものは関係ないのだけど。
「今日、打ち合わせなの?」
 数日前に見たときには、この日に仕事の予定は入っていなかった、はず。だから、今日は矢晴に内緒で、サプライズを計画していたのだけれど……。
「ああ、うん。担当の都合で、昼前にちょっと」
「そっかぁ……」
 と、一度は落胆したものの、考え直す。もともとの予定とは違うけれど、矢晴が出版社へと向かうというのなら、それはそれでプランにさしたる変更はない。矢晴の打ち合わせの後、でいいのだから。むしろ好都合。
「じゃあ、私、車出すね。一緒に行こう」
「え? お前、用事ないだろ……?」
「いいの、いいの。私が、矢晴と一緒に出かけたいの!」

「あ、そのジャケット、なんか久しぶりに見る」
 出かける準備を整えて、玄関先で矢晴に言われた。この日のためにクリーニングに出しておいた。思えば少し派手すぎて普段は着れないこのジャケットを着るのは何年ぶりか。矢晴の記憶の片隅にでも残っていたのが、とても嬉しい。
「せっかくだからね」
 あの日はひとりでこのジャケットを着て家を出た。今日はふたり。
 助手席に矢晴を乗せて、矢晴を送り届けるべく出版社へと向かった。

 出版社近くのコインパーキングに車を駐めて、矢晴を待つ間に、タブレットでネームを進めていた。近くの喫茶店なんかで待っていてもいいんだけれど、この後の予定に支障が出そうでやめた。
 矢晴から「もうすぐ戻る」とメッセージが来たから、切り上げて車の外で待つ。打ち合わせといっても簡単なものだったのか、矢晴が出てから1時間も経っていない。その程度ならリモートでも充分そうなのに。
 戻ってきた矢晴は、持って出たバッグとは別に紙袋を持っている。担当から渡された資料とかなのかな?
「なんで外で待ってるの?」
 寒いのに、とでも言いたげな矢晴。
「散歩に行こう!」
 と宣言すれば、矢晴は面食らった顔をした。

 数年の歳月で少しばかり街並みは変わっているが、記憶をたどりながら、ふたりで散歩する。
 出版社から、ビル街を抜けて閑静な住宅街へ。公園の横を通るあたりで矢晴がなにかに気がついたように声を上げた。
「なに企んでるの?」
「えへへぇ、気づいた?」
 数年前、A誌の編集部で初めて会った、あの日の再現。あの日は、古印先生と少しでも長く一緒にいたくて、散歩しませんかと縋ったけれど。今はもう、何年も一緒にいて、数え切れないほど一緒に散歩している。
「記念日だからさ、思い出を辿るツアーだよ」
「なんの記念日だよ」
 なんて矢晴は呆れた顔をするけれど、すぐに仕方ないなあって感じに笑ってくれる。その笑顔が私への愛にあふれて見えて、とても好きな表情。
 矢晴にはあの日は嫌な記憶だったかもしれないけれど、私には憧れの古印先生と知り合えた記念日。ふたりの出会った記念日だから……。
 ふたりでいつもの散歩みたいに、楽しくおしゃべりしながら歩く。たしかこの辺り……と思ったところで、あの日の喫茶店が見えた。

 あの日はお茶だけだったけれど、今日は昼食がまだだったこともあって軽く食べた。食後のコーヒーで一息ついたところで、バッグから手帳を取り出して、サインペンと並べてテーブルに出す。
「サインください!」
 あの日と同じに、矢晴に言った。そしたら、矢晴はコーヒーを吹き出しそうになってちょっとむせた。
「あー……。じゃあ、こっちにしてやるよ」
 矢晴はサインペンだけを取ると、紙袋から本を取り出す。さっさと開いてテーブルに載せ、さらさらとサインをしたためる。目の前で古印先生の絵が完成していくのを見て、なんで隣同士に座らなかったのかと後悔もした。
「はい、どうぞ」
 矢晴がサインが見えるように開いたまま、寄越す。あの日は名前だけのサインをもらったけれど、今日は古印先生直筆の絵までついている。それだけでも嬉しいのに――。
「お前のことだから、もう本屋に予約済みだろうけどさ」
 古印先生の、新しい、単行本。まだ発売前の。
「さっきの打ち合わせの時に、もらったんだ、献本」
 矢晴は照れ隠しのように言葉が増える。私はといえば、嬉しい気持ちが溢れすぎて、言葉にならない奇声のような歓声だけが口からもれた。

 今日はサプライズで、矢晴に楽しい思い出になるようにと演出するつもりだったのに。そんな私の計画なんて霞んでしまうくらいに嬉しいプレゼントをもらってしまった。
 喫茶店を出て散歩を再開しても、私はまだふわふわと嬉しい気持ちで天にも昇ってしまいそうな夢心地だった。
「あ、ここ」
 矢晴が立ち止まる。数年の間に、錆の侵食が進んでいるが、あのミント色の鉄柵は、あの日のまま。
「やっぱり、いいな。この配色」
 矢晴はバッグの中からカメラを取り出す。と、数枚、角度を変えて写真を撮った。そんな矢晴をうっとりと眺めていたら、矢晴に手招きされた。
「そう、そこに立って。うん」
 矢晴に指示されるまま、柵の前に立つ。そして矢晴のカメラのシャッターが切られた。

 まだ昼下がりの時間だからか、あの日の居酒屋は開いていない。矢晴にとってはしこたま飲んで吐いてしまった店でもあるから、開いていたとしても入りにくいかもしれない。外観を眺めて、あのメニューはおいしかったとか、楽しい思い出だけおしゃべりして、出版社近くのコインパーキングに戻る道へと進路を変えた。

「ツアーはもう終わり?」
 車に乗り込んで、シートベルトを締めながら矢晴が問う。
「んーん、もう1箇所」
 私は行き先は告げずに車を発進させる。あの日の行程を辿るならば、と考えれば自ずと行き先は分かってしまう。きっと、矢晴はもう気付いてる、と思う。

 だんだんと矢晴にとって見慣れた街並みになってきたからか、窓から外を眺める矢晴の口数が減っていく。懐かしさを感じているだけならいいけれど、もしかしたら嫌なことばかりを思い出して落ち込んでいるのかもしれない。
 けど。
 近くのコインパーキングに車を駐めて、そこから目的地まで散歩の再開。ここも新しく建ったもの、なくなってしまったものと街並みに変化がある、と思う。片手で数えられるほどしか来ていないから私にはあまりわからないけれど、何年も住んでいた矢晴には懐かしさと寂しさみたいなものがあるかもしれない。
 矢晴が黙ったままだから、邪魔しないように静かにして隣を一緒に歩いた。そして、目的地に到着する。夕方に近づいて傾いた太陽はやわらかな光で照らす。
 矢晴の住んでいた小さなアパートは、そこにあった。この数年の間に外壁を塗り替えたのか、以前に見たよりも新しく見える。矢晴は、2階の一室を見上げて佇んでいた。
 あの部屋に、住んでいた。福田矢晴が。古印葵が。
 大学に通うために上京したときから住み始めたと聞いた。ここから何本もの投稿作が生まれて、そして古印葵のデビュー作が生まれたのだろう。それからここで、矢晴は商業作家として何本もの読切漫画を生み出した。古印葵ファンの私にとっては、聖地に等しい。
 矢晴の商業漫画家としての始まりの部屋でもあり、矢晴の漫画家としての終焉の地でもあったアパートの一室。今は、私の家で漫画家として新たな人生を始めたけれど――。
 隣に佇む矢晴がなにを考え、なにを思っているのかは、わからない。ただ、このアパートでの楽しかった思い出が多く蘇っていたらいいと密かに祈った。

『――そとであそんでいるこどもたちは、くらくなるまえにおうちへかえりましょう』
 防災無線から流れるチャイムに意識が浮上する。どれくらい経っただろうか、いつの間にか夕暮れで、空気の色が変わっていた。うちのほうとは流れる曲が違うんだ、と新たな発見を心に刻みながら、矢晴を見る。
 同居を始めて少しした時、ちょっと健康に近づいた時、自立を考え始めた時に言っていた。『いつまで私はおうちに帰らないんだろうな』
 今の矢晴は、たぶん自立できている。それならまた自分の力で一人暮らしとかしたいのかもしれない。このアパートには戻らないにしても、どこか――。そのとき、私は――。
「おうちに帰ろう」
 そう言って矢晴が差し出した手は、私の手を握った。
――ふたりの、おうちに。

「帰ったらさ、今日の夕食はピザをとろうよ。私が奢る」
 帰りの車の中で、助手席の矢晴が上機嫌に言った。矢晴のアパートから矢晴を乗せて自宅へ向かう。それはあの日の再現で。
 外はすっかり夜の色になっているから風呂上がりの昼寝はできないけれど、家に着いたらお風呂に入ってピザを食べて、ふたりで眠ろう。
 今日は結局、私が幸せなだけだった。矢晴には辛いことも思い出させてしまったかもしれない。けれど、助手席の矢晴の声は楽しげで、私の心配を吹き飛ばす。
「今日のツアー、楽しかったよ。ありがと、純」
 信号待ちのギアチェンジでシフトレバーに置いた私の手に、矢晴の手が重なる。矢晴の体温を堪能する間もなく、青信号に切り替わってしまって矢晴の手が離れた。
 名残惜しいけれど仕方がない。早く帰ろう、ふたりの家に。そしたらいくらでも堪能できるのだから。きっといつまでも、矢晴は隣にいてくれるのだから。














着手:2023/11/05
第一稿:2023/11/06




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