二次創作:クリスマス

  この時期の世の中はクリスマスに浮かれているようで、スーパーの肉売り場の鶏のコーナーには骨付きモモ肉がこれでもかと並んでいる。飲料棚にはシャンメリー、特設のお菓子売り場にはサンタブーツが所狭しと並んでいる。惣菜コーナーには調理済みの骨付きモモ肉、フライドチキンがあふれているし、デザート売り場にはケーキが並ぶ。
 これが日本のクリスマスの定番で、子供の頃の私の家でのクリスマスはイブの夜には黙々と骨付きモモ肉を食べてケーキを食べて、翌朝目覚めれば枕元にプレゼントが置いてある、という常識をなぞるだけのほんの少し特別で平凡な一日だった。今思い返せば、両親は“世間並み”であることをがんばっていたのだろうな、と思う。
 買い物かごを持って隣を歩く上薗純の家ではどんなクリスマスを過ごしていたのかは知らないが、店内に流れるクリスマスソングに歩調を合わせて、かなり楽しげに見える。とはいえ、かごの中にはクリスマスとは縁遠い感じのごく普通の夕食材料しか入っていないが。
「純はクリスマスどんなふうに過ごしてたの?」
「んー。特になにもしてないかなー。友達もつかまんないし、どこに行っても混むし。コミケの準備とかで忙しかったりしたし。あ、でも今年は矢晴がいるからなにかしたいね!」
 ただ単に、どんなふうに過ごしていたのかと聞きたかっただけなのに、なにかに火をつけてしまったらしい。
「でも今からだとレストランの予約とか難しいかなぁ」
「そんなのいらないよ!」
 金持ちの純がどんな高級レストランを予約するつもりなのか、と恐怖に駆られて、慌てて制止する。
「えー。じゃあ矢晴はなにしたい?」
 急にお鉢が回ってきて、困惑する。なにかしたいとも思わないし、なにができるとも思えない。
「別に……なにも……」
「じゃあ、チキン食べながら映画観ようか。クリスマス縛りで!」
 純はそのアイディアに満足したようで、買い物かごに大容量パックの鶏肉を追加していく。私はまだ了承してもいないのに。

 クリスマスイブ、といえばクリスマスの前夜ということになるが、純は昼前から準備を始めていて、キッチンからつながるリビングには油と香ばしい肉の香りが充満していて、その匂いだけで胸焼けしそうな気もした。
 少し遅めの昼食の時間、リビングの大きなテレビの前のガラステーブルに大きな皿に盛られた唐揚げがドドンと並べられた。
 うずたかく、クロカンブッシュのように盛られた唐揚げが三皿。それぞれ味が違うようで少し色味が違う。そのうちの一皿は甘酢にくぐらせているようでテラテラと光り、降り積もる雪のようにタルタルソースがかけられていた。チキン南蛮風といったところか。クリスマスツリーのつもりなのかもしれないとも思う。
――こんなに食べ切れるわけがない。
 そう思ったが口には出さなかった。顔には出ていたかもしれない。
 純はそんな私の様子に気づかないのか意に介さないのか、テーブルに取り皿と箸とフォークと、各種調味料を並べていく。定番の塩コショウにレモン、なんだかよくわからないタレや色んなドレッシング。これだけの味変アイテムがあれば、こんな量の唐揚げも最後まで飽きずに食べられるのかもしれない。やっぱり食べ切れる気はしないが。
「じゃあ映画始めるよ〜」
 私の隣に純が座り、リモコンを操作する。サブスクで特集されているクリスマス映画のラインナップから、いかにもな定番の映画を選んだ。絶対にハズれない面白さ。
 コミカルな展開と少しの奇跡。切なさと人情と。ラストはハートフルなハッピーエンド。2本目の映画のエンドロールが流れる頃には、あんなに盛られていた唐揚げはほとんど姿を消していた。大半は純の胃の中におさまったんだろうが、私の腹の中も唐揚げで満タンになっている。
「おもしろかったー! おなかいっぱーい!」
 私は食べすぎて苦しくてソファーから動けないでいるのに、純はテキパキと片付けを進めている。
 油にまみれた食器を洗い、ソファーの前のガラステーブルを拭き上げる。すっかりきれいになったテーブルに天井の照明が反射する。
「腹ごなしに散歩行こうか」
 片付けを終えた純が笑顔で提案する。天井の照明とテーブルとの反射とで、純の笑顔が余計に輝いて見えた。

 散歩する、と外に出てきたのに、今いるのは車の中。どこに向かっているのかとすっかり日の暮れた窓の外を眺めていると、景色は暗い住宅街から明るい繁華街へと変わっていった。どこかの店にでも行くつもりなのかと思ったが、純が車を停めたのは駅に近いコインパーキングだった。
「ここから散歩だよ」
 どういうルートでの散歩なのかわからないから、純に手を引かれてついていく。
 賑やかな繁華街。クリスマスだからか人も多い。人が多い中で男同士で手を繋いでいるこの状態が恥ずかしくも思うが、人波にはぐれないようにするには手を繋いでいるしかないと思う。
 大通りに出ると、より一層明るさが増した。通りの両側に並ぶ店舗の照明に加えて、街路樹が無数の電球でデコレーションされている。
 純の肩越しにきらめくイルミネーションに見惚れてしまった。足を止めた私に純が振り返り「きれいだね」と笑う。
 冬の冴えた空気に滲むイルミネーションの光がその笑顔を縁取った。
 数日前に大雪警報を出したほどの寒波はまだ居座っているようで、頬に当たる空気は冷たいけれど、純とつないだ手から伝わる純の高い体温が私の顔までのぼってきているような気がした。
 純に手を引かれたまま、賑やかで眩しい繁華街を歩く。通り過ぎる車のライトが動くイルミネーションに見える、と思ったところで車道側を歩いていることに気づいた。普段は純が車道側を歩いている、ということに改めて気づく。
 人の流れは純の大きな体を自然と避けていく。車道側を歩く私の視界にはなににも邪魔されることなく並木を飾るイルミネーションが広がっていて、防波堤のような純に守られ人とぶつかる心配もない。
 いつだって純はさり気なく何気なく、私を護る。
「あ、ちょっとここで待ってて」
 純はそう言って私を道端に置き去りにして、混み合う店内へと入っていった。頭一つ飛び出た純はどんな人混みでも紛れることがない。
 店頭の全面ガラス越しに純の様子を眺めて動かずにいたら、足先から寒さが這い上がってくるように体が冷えてきた。明るく暖かそうな店内にいる純と、吹きさらしの凍える路上で待つ私と。まるで純と私の人生そのものに見える。漫画家として成功した望海可純と漫画を描くこともできなくなった古印葵と。なぜ純があんなにも古印葵に惹かれているのか、わからない。なぜ純がこんなにも私の世話を焼くのか、わからない。
「おまたせ〜」
 純の声で思考の海から浮上する。純はまた私の手を引いて歩き出した。

 イルミネーションが輝く道を進むと駅に着いた。純は駅前のロータリーの上の広場に向かう階段を昇る。私もそれに続く。
 広場の中央にはクリスマスツリーが設えてあり、電飾がきらめいている。広場の縁には等間隔でベンチが並び、カップルがロマンチックな雰囲気を満喫しているようだ。ここが散歩の終点か、と思ったものの、純は私の手を引いたまま広場を通り抜け、どんどんと駅に向かって進んでいった。
 散歩に行くと言って車に乗せられ、繁華街を歩き、今度は電車に乗るのだろうか? と思ったのも束の間、券売機の前を素通りし改札の前も通り過ぎて行く。このまま進めば駅も出る。目的地のわからない不安が湧き上がる。
 入ってきたのとは反対側の駅の出口。あちらは眩しいくらいのイルミネーションで飾られていたのに、こちらは必要最低限の街灯がある程度で寂れた雰囲気を感じる。同じ駅とは思えない。
 純は方向を確認するように首を振り、私の手を引いて、ひときわ暗い方へと歩き出した。
 駅を出てからまだ数分しか歩いていないのに、暗くて寒くて底冷えがする。歩いている足も凍りつきそうなほど重い。熱を求めて繋いでいる純の手を縋るように強く握った。
「着いたよ、矢晴」
 暖かく優しい声が頭上から降り注ぐ。足元に落としていた視線を上げると、そこは小さな公園だった。
 公園の真ん中には控えめな光で飾られたモミの木。周囲にはベンチがいくつか並んでいるがどれも無人で、慎ましやかなクリスマスツリーを見る者はいない。
「ここ、穴場なんだ〜」
 純は楽しそうな声を発しながら、私をベンチに連れていく。近所に住んでいる人間すら気づかないようなささやかな公園。駅からそんなに離れているわけでもないがその近さが逆に存在を気づかせないのかもしれない。そんな場所をどうして純が知っているのかと不思議に思いながら、ふたりで並んで座った。
「まだあったかいよ」
 純から手渡されたのはテイクアウトのドリンクのカップ。熱さを伝えないカップは手の中でほのかに温かい。飲み口からは湯気とともに甘い香りが立ち上る。
 口をつけるのに躊躇することもない適温。舌の上に広がる温かく滑らかな甘さのなかにスパイスを感じる。これはシナモン、そしてジンジャー。
 味を堪能し、飲み下せば喉、食道、そして胃へと、温かさが辿る。
「……おいし」
 腹の底から温まるような気がした。
「お菓子もあるよ」
 純はいそいそとドリンクが入っていた紙袋の底を漁り、クリスマスケーキと言うには質素な焼き菓子を差し出した。唐揚げではち切れそうだった腹具合もこの散歩でこなれたらしい。こんな小さな焼き菓子くらいなら余裕そうな気がして、純の手から受け取った。
 噛めばホロホロと崩れ、口の中に香ばしい甘さを広げていく。スパイスの入ったココアを口に含めば、また新しい味になる。うん、おいしい。
 菓子とココアを楽しみながら、とりとめなくおしゃべりをする。外気が寒いのには変わりないが心のなかはあたたかい。
 不意に、ホットドリンクのカップにつけられた黒い蓋になにかが舞い落ちた。菓子をこぼしてしまったかと思ったものの、真っ白なそれは蓋の下からかすかにのぼる温度に耐えきれずに儚く溶けて小さな水滴に姿を変えた。
「あ! 雪だよ!」
 純が空を見上げていっそう楽しげな声を上げた。その声につられて空を見る。暗い夜の空から白い雪が舞い降りる。肉眼でも結晶が見えそうなほど大きく育った雪は街灯とツリーの光を反射しているのかキラキラと瞬いても見える。
「うふふ、ホワイトクリスマス。ロマンチックだねえ」
 純がはしゃいで駆け出すかと思ったのに、予想に反して純は私に肩を寄せてロマンチックだと曰う。恋人同士のクリスマスに雪が降るならロマンチックに思えなくもないけれど、純と私は……。
 誰もいない小さな公園にふたりきり。雪の舞う中ベンチで寄り添い、ささやかな光を螺旋に纏うクリスマスツリーを眺めた。
 他愛ないおしゃべりは雪にまつわる思い出話が主体になった。
 時折吹く冷たい風が軽い雪を舞い上げ踊らせる。熱を発しない光を纏ったツリーは雪で飾られていく。
 寄り添う体と抱かれた肩から純の体温が伝わって、寒いけれど寒くない。交わす言葉とともに吐く息は白く、外気に凍る。ふたりの世界は白く彩られていく。
「ねえ、矢晴……」
「うん?」
「ロマンチックって……さっぶいねぇ……」
 およそ純から発されると思わなかった単語が飛び出し、純の体が寒さに震えていることに気づき驚く。代謝がよく私よりも高い体温を誇っている純。ふだんよく動くから体温も高くなっているのかもしれず、じっと動かず、さらに私に体温を分け与えていたためにか、寒いと言う。震える純をよくよく見れば、風上の半身に雪を纏っていた。
 すっかり冷めたドリンクの最後の一口を飲み干し、立ち上がる。純の髪や肩に積もった雪を払ってやり、手を差し出す。
「帰ろう」
「うん」
 純は私の手を取って立ち上がった。

 ここに来るまでは純に手を引かれて歩いてきたが、帰り道は寒さに震える純の手を引き歩いている。凍えてぎこちない動きになっていた純も歩いていくうちに血が巡り滑らかになり、駅を通り抜ける頃には私の手を振り回すほど元気になっていた。眠っているときですらぐるぐると動き続ける純は回遊魚なのかもしれない、と思い至りこみ上げる笑いをこらえるのに苦労した。
 駅前のイルミネーションを眺めながら純の車を駐めたコインパーキングへと向かう途中、純がケーキ屋に立ち寄る。今度は私も一緒に店内に入った。
「予約していた上薗です」
 と、純が言う。こんなところまで来たのは予約していたクリスマスケーキのためで、私との散歩はついでだったのか、と思うとちょっぴりさみしく思う。
 純は小ぶりのホールケーキを受け取り、冷蔵ケースに並べられていたプリンとゼリーとを追加で買って嬉しそうにしていた。

 外気を遮断し、暖かい空気で満たされた動く密室。私の膝の上にはケーキの入った箱が鎮座し、隣でハンドルを握る純は前を見る。うかつに動いてケーキを落としてしまったら、と思うと少しばかり緊張してしまうが、私の体をしっかりと固定するシートベルトが安心をくれる。
「よかったな」――目当てのケーキを買えて。
「うん! きれいだったよね〜イルミネーション。あのツリーも矢晴と一緒に見れて、ほんとに良かった!!」
 私の意図からは外れた純の応答は楽しげで興奮した口ぶりに面食らう。
「雪が降ってきたのも綺麗だったしさ、よかったよね! 寒かったけど」
 寒さを思い出したのか純がかすかに身震いをする気配に視線を純に向けると純の視線もこちらを向いていた。
「矢晴と一緒に見たかったんだ。イルミネーションとツリー」
 純の言葉の意図するところはなんなのか。ただ単に、きらびやかなイルミネーションが見たかっただけなのか、私と一緒にロマンチックな時間を過ごしたかったのか。
 それを確かめて期待した答えではなかったときの落胆を想像し、思考が止まる。
「そうなんだ」
「うん!」
 確かめるでもなく曖昧にした私に、純は元気よく応じた。
 会話が途切れ、純の視線が前を向き運転に集中する。車内の暖房が効きすぎているのかなんだか体が熱く感じる。
 ふたりで暮らす純の家まではあと数分。
 なぜだか上昇する体温を感じ、膝の上にあるケーキが溶けてしまうんじゃないかと少しばかり不安になった。










 
 

 






















着手:2023/12/25
第一稿:2025/05/10

コメント

匿名 さんのコメント…
「クリスマス」を拝読致しました。初めてできた好きな人と過ごす特別な一日を、目一杯クリスマスらしいことをして二人で楽しもうとしている純の気持ちを感じられてほっこりしました。 腹ごなしに散歩っていうのは純なりの精一杯のクリスマスデートのお誘いなんですね。イルミネーションがよく見えるよう車道側を歩かせてあげる純のさりげない優しさとそれにちゃんと気が付く矢晴。一人になるとマイナス思考に陥りそうになるけど純の声で浮上するところが好きです。 穴場の公園でロマンチックって寒いと奥歯ガチガチさせて頑張ってる純がいじらしい・・・! 純の気持ちがちゃんと矢晴に伝わってなさそうなすれ違いが感じられつつ初々しい二人が可愛かったです。 素敵なクリスマスのお話しをありがとうございました。
匿名 さんのコメント…
矢晴との時間を心からうれしそうに楽しそうに過ごす純の姿がかわいらしいですね。矢晴の中で少しずつ育っていく幸せな気持ちもほほえましいです。