二次創作:年越し
年の瀬。この家は、大掃除すら外注だった。数日かけて数人のハウスキーパーによって家中が磨き上げられた。上薗純こと望海可純の年末進行が終わった頃には、大掃除も終わっていた。
大掃除の最中は、昼間はどこにいても他人が居て、何もしない私は肩身が狭くて、落ち着かなかった。たぶんこの家のなかで一番汚くしている私の部屋も念入りに掃除され、新年を迎えるための準備がされた。掃除が終わった後の部屋は、綺麗すぎて落ち着かない気持ちになった。初めてこの家に来た時の気持ちが蘇ったような。
「きれいになったね!」
ハウスキーパーが全ての仕事を終えて立ち去り、やっと落ち着いた気持ちになった夕食の席。純は上機嫌で言った。純の年内の仕事も終わったはずだから、これから年末年始は落ち着いてふたりで過ごせるのかな、と思った。
去年の年末は、この家に来たばかりでなにもしないままに年が明けたように思う。今考えると私がこの家に引っ越してきたときには大掃除も終わっていたのかもしれない。正月は純も日常の延長のようにのんびり過ごしていた、と思う。おせちは少し食べたかもしれない。定かではないが。
今年の年末年始は、純の家で過ごして初めてまともに迎える年越しと言えるだろう。純は正月用の準備だと楽しげに台所で作業している。私は、手伝うでもなくリビングのコタツにいる。
なにか描くわけでもないが、コタツの上にはタブレットとペンを転がしている。気が向いたら描けるようにと。ついでに純が置いていったクロッキー帳とペンもある。アナログでもデジタルでもと、贅沢な環境だ。
傍らには、純の本棚から持ってきた漫画を積み上げて。私が漫画を読まなくなっていた数年の間にも面白い漫画は世に溢れ続けていたのだな、と思う。自身がいなくても世は回り面白い漫画はたくさん生み出されている、と思うと落ち込みそうになるが、人生を捨てていたような数年間への後悔のほうが強くなっている。今、それを取り戻そうと漫画を読んでいるようなものだ。
私がそうやって漫画を読んでダラダラと過ごしている姿を見るのが、純は嬉しいらしい。立ち働く人間の見える範囲に何もしないでだらけている人間がいるのは、常人ならば苛つくのではあるまいか、と思うのだけど。純だから、と思えばなんとなく納得してしまうようにはなったし、働かないことが苦になるということも少なくなった。
矢晴専用、と純が買ってくれた小ぶりのゼロクッションに身を預け、のんべんだらりと過ごす私の前に、湯気の立つカップがふたつ置かれる。純の台所仕事は一段落したようだ。
「矢晴、味見して」
と、純が差し出した小鉢には、鮮やかな黄色が美しい栗きんとんが盛られていた。純の口ぶりから推測するに、純のお手製だろう。きっとこれが部屋に漂っていた甘い香りの正体だ。
出来立てでまだ温かい栗きんとんの芋と栗のふくよかな甘さが口に広がる。
「うん、おいしい」
味見というには量は多いけれど、お茶請けとしては少なくて。美味しくてすぐに食べ終わってしまう。カップに満たされていたのは緑茶で、甘さによく合う。もっと食べたくて純を見るが、お正月のお楽しみだよと言っておかわりはくれなかった。それでも――。
「純と一緒に、もっと食べたい」と言葉にすれば、純は「いいよ」とキッチンへ向かった。純の私への甘さ、優しさにつけ込んでいる、と自覚もするが、要求を言葉にするように訓練されているような気もしてしまう。
「はい、どうぞ」
と、純はさっきよりも多めに盛った栗きんとんをコタツの上に置き、私の隣に座った。体温を感じるほど近く。でも、今はずっとコタツに入っていた私のほうが純よりも温かいらしい。触れた純の手は、少しひんやりとしていた。
純と一緒にコタツに入って、純と一緒にお茶を飲んで、純と一緒に栗きんとんに舌鼓をうち、純と一緒に漫画を読んで、純と一緒に絵を描いた。
ゆったりとした時間が流れていて、今年が終わる、という実感もないまま、ただただ純と一緒に過ごすこの時間が、幸せに満ちているように感じていた。
いつの間にか眠ってしまっていたようで、喉の渇きに急かされて、出汁の香りに誘われて、目が覚めた。
コタツの上はきれいに片付けられていて、スポーツドリンクのペットボトルが1本、置かれていた。ためらいもせずボトルを手に取り喉の渇きを癒やせば、水に誘われてか尿意が活気づく。
キッチンに立つ純を横目にリビングを出て、トイレに向かう。出汁の香りは年越しそばのようだ。
トイレからリビングに戻って時計を見れば、8時を過ぎていた。
「矢晴ぅ、年越しそばとお風呂、どっち先にするー?」
純の問いかけが、なんだか“典型的な新婚さん”のようで、思わず笑いがこみ上げるが、喉からは解放しなかった。
「後でお風呂入る」
と答えれば、「はーい」と、純の嬉しそうな返事が聞こえる。
家事も万能で、なんでもこなす、嫁と言うには稼ぎの良すぎる男前。そんな男がなぜ私なんかを養っているのか。
何も知らない他人から見れば、私が純に取り入って寄生していると見えるだろうが、現実は、純が私に尽くしてる。
だから、何故。という疑問はずっと私にもつきまとっているのだから、純だけが正解を知る問題だろう。
夕食も兼ねて年越しそばを食べて、リビングのコタツで食休み。
夕食前にも眠ってしまっていたというのに、また少し眠気がやってくる。この調子では年が明ける瞬間まで起きているなんてできそうにない。
「そろそろお風呂、入ろっか」
私の耳元で純が言い、頷けば、背中が少し寒くなる。脇の下に純の手が差し込まれて、私の体を立ち上がらせる。眠気にぼんやりとする私の手を引いて、純はいつもと変わらぬ足取りで浴室へと向かった。
新年を迎えるためにと純が用意した新しい下着に新しいパジャマ。洗面所の大きな鏡に映る私の後ろに立つ純も同じデザインのパジャマを着ている。ペアパジャマ、と意識すると恥ずかしくなるが、純はそんなこと思いもしないんだろうなと思う。
私が歯を磨く間に、純はドライヤーで私の髪を乾かしていく。鏡に映る純の顔は、なにがそんなに楽しいのかと思うくらいにいつもニコニコしていた。それをぼんやり眺めるのは、それはそれで、楽しいと思う自分がいる。
「部屋に行く? リビング?」
手際よく私の髪を乾かし終わった純が、ドライヤーを片付けながら言う。年が変わるまであと1時間と少し。風呂上がりでさっぱりとしたからか、眠気もどっかに行ったように思う。
早々にベッドに入ってしまうのは勿体ないような気がして「リビング」とだけ答えれば、純はまた私の手を握って歩き出した。
風呂上がりの水分補給にと白湯を渡され、リビングのソファーでくつろぐ。
大きなテレビには、どこかの寺の鐘撞堂が映る。遠い土地の除夜の鐘を、間近で見ている不思議な体験。大きすぎるテレビもいいものだな、と思う。
隣に座る純は、朝から活動していたし、私のように夕方に眠ってしまったわけでもないし、普段から夜更かしをしない生活習慣ゆえか、少し眠そうに見える。
ぽわぽわとした感じで、あどけなく見える笑顔は幸せそうに私を見つめ返す。私もそんなゆるんだ顔をしているのだろうかと思ったら、恥ずかしくなった。
テレビの中では新年に向けてのカウントダウンが始まる。
『……3、2、1! ハッピーニューイヤー!』
画面の向こうで人々が盛り上がる。同時に、新年を告げる号砲が窓の外から聞こえた。
「あけましておめでとうー! 今年もよろしくね!」
テンションの上がった純が、抱きついてくる。今年も、と添えられた言葉に、心の奥に安堵が広がる。純との暮らしが、これからの1年、確約されたわけでもないけれど。
「新年おめでとう。今年も……よろしく」
抱きしめ返すように、純の広い背中に触れる。純の体は大きくて、私をすっぽりと包むけれど、私は小さくて、ちっぽけで、抱きしめ返すことすらままならない。それでも、それでいいとでも言うように、純の手は、腕は、胸は、私の手のひらが触れる純の背中は、私に純の体温を伝える。
「えへへぇ〜、今年もふたりで、もっと幸せになろうね!」
幸せに満たされた年明け。これ以上の幸せを望んではバチが当たるのではないかと思えるほどに。それでも純の力強い腕は、私を護り導いてくれそうで。私は純の腕の中で頷いた。
着手:2021/12/31
第一稿:2022/01/11
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