二次創作:入浴
上薗純には月に数回、楽しみにしていることがある。
今日がその日で、純は朝からワクワクしている感じがしていた。私はといえば、家のなかの他人の気配に落ち着かず、純の寝室の広いベッドで惰眠を貪った。
夕食前にはハウスキーパーも去り、純とふたりだけの日常が戻る。
夕食中も純はウキウキしていて、透視できるわけでもないのに風呂場の方向をチラチラと見てはニマニマしていた。
そんなに好きなら毎日でもしたらいいのに、と少し嫌味を込めて言ったことがある。金は無尽蔵にあるんだから毎日したって問題ないだろう、と思った。純の答えは、日常にしちゃったら楽しみが減るじゃないか、というもので。そういうものかと納得もした。
かくて、純の楽しみで満たされた風呂に、今、入る。
純の家の風呂場自体とても広くて、浴槽も個人宅の風呂にしては大きいと思う。大きな純が足を伸ばして入っても余裕な浴槽は、大人の男ふたりで入ってもじゅうぶんに広い。
そんな大きな浴槽はいつもの湯が見えず、盛大にあふれそうなほどの泡で覆われている。広い浴室も良い香りの湯気に満たされ、ともすれば噎せてしまいそうなほど。
私自身は、こんな優雅な風呂に浸かっていいような人間じゃない気がして気後れしてしまう。けれど、目の前で泡と戯れている純は、その恵まれた体格に整った顔立ちと自信と金に満ちた安泰な生活とが醸し出す余裕なのだろうが、外国映画に出てくるような優雅な泡風呂がとても似合っている。のが、憎らしい。
「えへへぇ、ジャグジーつけちゃお」
まだまだ十分な量の泡があるように思うが、楽しくて仕方がない感じの純はノリノリでジャグジーのスイッチを入れる。強い水流と気泡で勢いよく撹拌される湯は次から次へと泡を生み出し、浴槽の縁からあふれた泡はハウスキーパーによって磨き上げられたばかりの床に広がる。
「見て見て、矢晴!」
と、はしゃぐ声は泡の山の向こうから聞こえて、純の顔は見えない。見せたいものはこの大きな泡の山なのだろう。泡山の向こうから伸びる純の手は、泡を集めては積み上げていく。
プロの掃除後は泡立ちが違うんだよ! と純が力説していたのに納得してしまうほどの泡立ちの良さ。ただ私はその違いを知らないから純の気のせいだったりするんじゃないかとも思ってしまう。
子供みたいに無邪気にはしゃぐ純はきっとニコニコしてるんだろう。純が拵えた大きな泡の山は、私と純とを隔てる壁になっていて純の顔が見えない。
少しばかりイライラする気持ちを泡の壁にぶつけて、純が拵えた大きな泡の山を崩すようにして引き寄せる。きめ細かい泡は滑らかな肌触りでフワフワで気持ちよく、弾けた泡はバスジェルの良い香りを鼻先に撒き散らす。
崩れて低くなった泡山の向こうに見えた純は、笑顔が弾けていた。
その後は、はしゃいでいる純につきあって泡で工作したり泡を積み上げたりして、遊ぶ。とっくの昔に成人した男二人がする遊びとしてこれでいいのか、というのは甚だ疑問だが。純はいつも楽しそうで、私も少し、楽しい。ような気がする。
普段の入浴より少しばかりぬるめの湯に、普段の入浴よりも長く浸かる。柔らかくなった皮膚を泡で撫でるようにこすり上げられ、ぬるぬるとすべすべの合いの子のような心地よさに身を任せる。
純に肌を撫でられる心地よさに、背骨のあたりからぞわぞわとした気配がじわじわと全身に広がっていく。心地よさを通り越して、セクシャルな快感に変化するのがわかる。
有り体に言えば、ムラムラする。私がそんな気持ちになってしまうというのに、純にはそんな気持ちはまったくないようで、爽々とした純の様子に私は悶々とする。
「もう上がるよ」
極力平静を装って、隠しようのない身体反応が出てしまう前に純から離れた。
立ち上がって浴槽から出る。と、不意に足元から床が消えた。
純があふれさせた泡によって滑りやすくなっていた床で、しっかりと滑ってしまったらしい。
滑って平衡感覚を失いこの後に訪れるだろう衝撃と痛みへの恐怖と、転んで頭でも打って死んでしまうかもしれない期待と安堵と、泡風呂ではしゃいで滑って転んで裸のままで死ぬなんてあまりにも恥ずかしいと思う羞恥と、刹那の間にかけめぐる思考の奔流に溺れそうな気がした。けれど、そのどれもが実現はしなかった。
私の身体は浴槽のなかで立ち上がった純の大きい腕にしっかりと受け止められたから。
「矢晴、大丈夫?」
少し心配そうに純が問う。純が受け止めてくれたおかげでどこを打つでもなく、怪我もない。ただ、自尊心は甚く傷ついた。
純があふれさせた泡で私が滑ってしまったのは純のせいだから仕方ないとして。私よりも足場の悪いだろう泡だらけのぬらつく湯に満たされた浴槽の中で立っている純が、私を軽々と受け止めて、よろめきもせず平気で立っているのが忌々しい。
体力差、体格差に自身の貧相さをまざまざと感じてしまって、生まれ持った資質の差が恨めしい。泡で塞がれた湯のなかで見えなくて安心していた純の身体を見せつけられて、むくむくと欲がわいてくる。
わきあがる性欲をぷりぷりとした怒りに転化し、純の手から逃れてシャワーの前の風呂椅子に座る。バスジェルの泡にまみれてきしんだ髪をシャワーの湯で濡らすと、背後に立った純がシャンプーを手に取り泡立てて私の髪になじませた。
純の長い指が私の頭皮を摩擦する。泡が目に入らないようにと閉じているから鏡に映る自身も純の体も見えない。純の指はいつものじゃれついて力任せにわしゃわしゃとかき乱すような手付きでなく、じわじわと優しく、適度な圧で頭皮を揉み洗う。
柔らかくゆたかな泡の感触のうちに、髪をかきあげる動作を感じる。と、ケケッといたずらっぽく笑う純の声が聞こえたから、きっと私の髪で角でも立てて遊んでいるのだろうと思う。
たしなめるように純の名前を呼ぶと、純の指先は従順に洗髪作業に戻った。私の髪と頭皮を丹念に洗い上げ、泡を流して水気をとるとコンディショナーをなじませる。
「ちょっと待っててね」
純はそう言って自分の髪を洗い始めた。私の頭に施すのとは雲泥の差とも思えるほどに無造作に、ガシガシと手を動かす。髪の長さの差、とも違う。純が特別、私に優しく、私を大事にしているのかもしれない、と意識する、差。
コンディショナーが髪に染み込む待ち時間、純に見返されることもなく純を眺められるわずかな時間は、あっという間に過ぎた。
「流すよ〜」
私の頭から爪先まで、純がシャワーで洗い流す。少し熱めのシャワーは少し冷めた体をほどよく温めてくれた。
温かさに呆けている間に純はもう一仕事始めている。保湿用のローションを私の手の届かない背中に、体についた水滴を閉じ込めるように塗り込めていく。放っておけば背中から肩へ、腕へ、腰へと体の隅々まで塗りたくられるのだが、さすがに体の前面を純に触れられるのは私が正気でいられない。
「前は自分でやるからっ!」
と慌ててローションのボトルを奪い取るように受け取ると、自分の手で首や胸や腹部へとローションを塗りひろげた。塗り残しがあれば目聡く見つけて純の手が伸びてくるだろうから、そうならないようにと慎重に塗った。
保湿ローションを塗り終わって、やり遂げた気持ちよりも入浴に使った体力量のほうが格段に多くて疲れた気分で浴室を出る。純は浴槽の湯を抜いてシャワーで泡を落としていたし、出てくるのはまだ少し先だろう。
棚からふかふかのバスタオルを手に取りまだ髪を伝って水滴の落ちてくる頭を拭く。ふわふわのタオル地で顔を拭うと人心地ついたような心持ちになった。
風呂上がりにリビングで寛いでいると、浴室の後始末を終えた純が入ってきて、まっすぐにキッチンに向かって行った。楽しそうな表情でいそいそと冷蔵庫を開け、入浴前に作っていたハーブティーのボトルを取り出す。
キッチンのカウンターに大きなコップとそれよりは小さなコップとを並べて、大きなコップには氷をたくさん、小さなコップには氷をひとつ。それぞれのコップにハーブティーを満たすと、両手に持ってリビングのソファーに、私の隣に、座った。
小さなコップは私の分。冷えすぎないように氷はひとつ。入浴で上がった体温を冷ますように氷はひとつ。そんな純の気遣いが、嬉しい。ような気がする。
たしかにやっぱり、こんな特別な時間は、日常にしないほうがいい。
隣に座る純の、常より高い体温を感じながら、喉を通る爽やかなハーブの香気を感じながら、そう思った。
着手:2023/01/19
第一稿:2023/06/18
コメント
たくさんの泡にはしゃぐ純、可愛い!
泡で工作したり泡を積み上げる二人が可愛い!
自分の髪は適当に洗うのに矢晴の髪は優しく洗ってあげるところに愛を感じました。
泡風呂の中で肌を撫でられムラムラしちゃった矢晴が可愛い!保湿用ローションも純に塗ってもらえばいいのに、なんてニマニマしておりました。
そして最後のハーブティーに純のスパダリを見せつけられた気分です。
恋人同士になったらこの泡風呂の時間はどんな風に変わるのかしら〜♡なんて想像してしまいますね!