二次創作:合作

 LDKに続くドアの前で、ドアの向こうから聞こえる水音に気づいて上薗純は足を止めた。以前までの一人暮らしであったなら聞こえるはずのない音。同居人の生活音に心が浮き立つ。
 ドアを開けて歩を進め、キッチンを見る。シンクに向かって立つ同居人の後ろ姿に、同居開始当初の姿が頭をよぎり、純は少しだけ身構えた。
 頭一つ分背の低い同居人の背後から覗き込む。と、その手元には炊飯器の内釜に研がれた米が見え、純は安堵の溜息を飲み込んで声をかけた。
「お腹すいたの?」
 夕食の時間にはまだしばらくある。そもそも純がLDKへとやって来たのは飯を炊くためだったが、その仕事を同居人が先回りしてやっていた、というのが現状だ。
「いや……たまには……なにか……、家事くらい、と思って……」
 純の同居人である福田矢晴は緩慢な口調で答える。怯えているような印象を受けるのは彼が小さくて見下ろしてしまうせいなのか、はたまた私が大きすぎて威圧してしまっているせいなのか。純はそんなことを頭の片隅で考えながら、そんなこと私がやるのに、と手を出したい衝動に駆られる。
 上薗純は福田矢晴の生存、生活に係る一切の憂いを取り除き、健やかにゆったりと人生を謳歌してもらいたいと常々考えているものの、何もさせずに生活能力を奪いたいわけではない。活動に制限を設けたい訳では無いが些末な雑事に煩わされることのない安寧な暮らしを送って欲しいと考えている。
 ここで些末な家事を取り上げてしまったら、せっかくの矢晴の生活意欲を削ぐことになってしまうのではないか――、と純の思考と心は激しく渦巻き粟立っていた。
 そしてなにより、いつも死の気配をまとい、いつだって理由なく死に追い立てられているような希死念慮の持ち主である矢晴が、生命維持に直結する食事にかかわる家事を行なっているという事実は純に喜びを与えた。
 矢晴のこの行為の動機が生活全般の面倒を純に世話してもらっているといううしろめたさや負い目からだとは純には知るよしもないが。結局、純は矢晴を見守ることにした。
 矢晴は米を洗い終え、内釜のラインを注視しながら慎重に水を入れる。多くもなく少なくもなく、と気をつけているようだが、横から覗き見る純には、明らかに水が少ないように見えた。
「矢晴、お米どれだけ入れた?」
「え? 純がいつもやってるみたいに、あのカップに2杯」
 カップに2杯、だから、水は2と添え書きしてあるラインまで。と矢晴は考えていた。
「じゃあ、4合だね」
 うちの計量カップ2合のだから、と言いながら、純は内釜の4のラインを指さした。
 4合も!? と、矢晴は驚いたが、口には出さなかった。この量を朝夕に炊いているのだから日に8合、足りなければ冷凍してあるご飯を出してきているのだから日に1升は消費しているのかもしれない。
 起きて半畳寝て一畳飯は食っても二合半、などと言うが、矢晴自身の食事の量は1回どころか1日でも1合程度じゃなかろうか。純のベッドは4畳はありそうだし純の大盛りご飯は2合は軽く超えてそう。上背もデカければ、家のサイズも食事の量も、なにもかもスケールが違うんだなと、矢晴は納得し、なるほど4合と純の指し示したラインまで水を注いだ。
 矢晴は重たくなった内釜を持ち上げ、炊飯器へと運ぶ。それを純は監視に見えないように気を払いながら見守った。
「……もう、スイッチ入れていいの?」
 純がいつもやっているのを真似てみたものの、米の分量すらよくわかっていなかったことから、他にもなにかやらかしてしまうんじゃないかと不安になって、矢晴は純に尋ねる。
「うん、いいよ!」
 純は笑顔で答え、矢晴の不安を弾き飛ばした。

 ふたりが過ごすリビングに、キッチンの炊飯器が仕事する音と蒸気口から漂う米が飯に変わる匂いとが、ゆったりした空気とともに広がる。
 矢晴には炊飯器が無事に作動していることへの安堵と、飯が無事に炊けるかどうかの不安とがあるが、純はこの家に来て初めて矢晴が炊いた飯への期待と喜びで満ちていた。
「矢晴は今日、何食べたい?」
 そろそろ炊飯器が仕事を終えるかといった頃合いで、純は冷凍庫を漁りながら矢晴に聞いた。数日前に家事代行が来たばかりで作り置きのおかずは潤沢だ。食材のストックも充分にある。和洋中、なんでもできる、が。
「なんでも……」
 矢晴は特になにを食べたい、あれが欲しい、という希望を出すことがない。純があれやこれやと並べ立てても、選べないのは病ゆえか。特段、好き嫌いなく出されたものはなんでも食べはするから、純はその時に純が食べたいものをメインに、矢晴の栄養バランスを考えて、おかずを選ぶことになる。
 冷凍の作り置きおかずをレンジに入れて、冷蔵庫から冷蔵のおかずをいくつか取り出し、皿や器を準備する。野菜室からサラダ用にいくつか野菜を取り出して切る。純は手際よく、一連の作業をこなす。
 あたためたおかずを皿に盛り食卓に並べ終える頃には、炊飯器の蒸らしも終わっていた。
「いただきます」
 食卓にふたり揃って、夕食。身体のためには野菜から、というけれども、純は“矢晴が炊いたご飯”をまず食べたかったし、気持ちのままに最初に口に運んだ。
「……ん?」
 純は口に含んだご飯にちょっとの違和感を感じた。目の前で一口ご飯を食べた矢晴は、青ざめて下を向き、ぽろぽろと涙を流し始める。
「……ごめん……ごめん……。飯すらまともに炊けない馬鹿でごめん……」
 いつも純が炊くものよりは硬めに炊かれたご飯。純はカップにすりきりで計るが、矢晴は特に気にせずすくい上げたままカップに山盛りで入れてしまったために起こった、米の量と水の量の不調和。
「気にすることないよ〜。初めてなんだし、食べられないわけでもないんだし」
「……でも……こんな、硬い……」
 純が明るく慰めても、矢晴はメソメソと泣くことをやめられなかった。
「私なんか、初めて土鍋でご飯炊いた時は丸焦げになって炭にしちゃって食べられなかったよ!」
 矢晴を慰めようと自身の失敗談を話すものの、正しい分量の米と水を入れさえすれば自動的に美味しいご飯を炊いてくれる炊飯器での失敗と、火加減の調整などを自力でする土鍋炊飯での失敗とでは、矢晴にとって失敗の度合いが異なり、なんの慰めにもならなかった。
「料理によっては最初から硬く炊くことだってあるんだし……」
 と、矢晴が失敗したことを気に病まないようにと色々と並べ立てるうち、純は閃いた。
「矢晴、ちょっとだけ待っててね」
 純はそう言って、矢晴の茶碗と自分の茶碗とを持ってキッチンに向かう。
 冷凍庫からシーフードミックスとなんにでも使えるように刻んで冷凍してある野菜のミックスを取り出し、冷凍してあるスープストックも取り出す。冷蔵庫からはバターを取り出し、コンロ近くの棚から大きなフライパンを取り出した。
 フライパンを火にかけて、バターを溶かす。野菜とシーフードミックスとを軽く炒めて凍ったままのスープストックを入れた。熱せられるフライパンの中で、じわじわとスープが溶けていく。
 純は凍ったスープが溶け切るのを待たずに、ふたりの茶碗に盛られたご飯と炊飯器に残っていたご飯とを全部フライパンの中に入れ、スープをまとわせるように具とご飯とを混ぜ合わせた。そして塩胡椒で味を整え、蓋をして数分。
「はい、おまたせ」
 純は蓋をしたままのフライパンをテーブルの中央に置いた。矢晴はまだ落ち込んだ表情をしていたが、純の声といい匂いとに釣られて顔を上げた。純が蓋を開けると、一段といい匂いがほかほかの湯気とともにテーブルに広がった。
「矢晴の炊いたご飯を私がピラフにしたんだよ。ふふ、ふたりの合作」
 純はピラフを茶碗に盛り、矢晴の前に置いた。
 矢晴の炊いた硬いご飯は、純の調理によってスープを吸って、ふっくらと柔らかそうで、バターをまとってつやつやと輝いていた。
「さあ、食べよう」
 矢晴は茶碗に盛られたピラフを恐る恐る一口食べた。噛み砕けば柔らかく、シーフードとバター、そして野菜とスープの香味が口いっぱいに広がった。
 おいしい? と純が聞くまでもなく、矢晴の表情が、笑顔が、語る。
「硬めに炊いたご飯じゃないとべちゃべちゃになっちゃうからね、滅多に作らない。今日は矢晴に感謝だ」
 純はニコニコと自分の茶碗に盛った大盛りピラフを頬張った。














着手:2023/08/17
第一稿:2023/10/22

コメント

匿名 さんのコメント…
矢晴がご飯の水加減間違えて落ち込んでるのを、純が美味しいピラフにしてフォローしてあげるのがとっても良かったです。
美味しいピラフを食べてにっこり笑顔になってる矢晴を、純がニコニコ見守りながら頬張ってるんですね。こちらまでほっこりしてしまいました。そしてピラフが美味しそうです!
ごちそうさまでした。