死ぬ練習

 やっとこ「【感想】上薗純、曰く」を書き終わった。


矢晴が、編集部に行った翌日、純に部屋を掃除されていて、同居迫られて『何様だよあんた!!』と振り払ったら『じゃあここで死ぬんですか?』と言われて、『ここで何回』『死ぬ練習したと思ってんだ』と考えているところが。

矢晴が自分の連載打ち切って純の単行本が10巻を超えていた頃、『そのころ私は10回目の〇〇をしていた』と言葉は濁されているけども、ここ、「自殺」だよなあ、と思っていて。

1年以上前の時点で10回となると、そこからさらに何回“死ぬ練習”をしたんだろうかな……と思う。

死ぬつもりでいても、死ねずに生きてて目覚めちゃって……そこからまた惰性で生き続けて、死にたいけど死ねてない、だけの生活だったんだろうなあ。

ただ、本気で自殺しようとしたのか、というと難しいところかなあ? という気がする。死にたい、死ねたらいい、とは思ってても、完全に命を断つ勇気やら気力やらもなかったんじゃないかなあ? みたいな。

結局、死ねてないから、全部“死ぬ練習”になっちゃったんだろうなと思うのだけど。

純の家に行ったときに『ここで死ぬならいいかもな』と思ったのは「幸せのなかで死にたい」みたいな気持ちがありそうなのと、『そんなとこで死ぬなんて嫌に決まってんだろ』に対しての『ここで死ぬならいいかもな』なんだなあと思って。

ただ、純は矢晴を死なせる気は毛頭ない感じではある。矢晴を健康体にする気満々だしね、純。矢晴もちゃんと療養する気になって穏やかに過ごせるといいのになあ。


コメント

匿名 さんのコメント…
コメント失礼します。
最近このブログを知り、一気に拝読しました。
大好きな作品なので、愛のこもった文章をたくさん読めて嬉しいです。
「10回目の〜」は○○ではなくOD(オーバードーズ)かと思います。
初見は私も○○と読んだのですが、拡大して見ると1文字目と2文字目で少し形が異なり、同じフォントの違う文字だと判断しました。
あのコマや、1話の「これからする話は」「2年ぶりに漫画を描くまでの間にあった」のページにも薬瓶や薬が描かれており、薬関連でODかなと。
仮に1話のページをOD時とすると、涙に涎にとかなり状態が悪そうですが、救急車を呼べたのか、それとも薬が抜けるまで耐えたのかも気になります。
ODじゃ中々死ねないのは有名どころなので知識量的に矢晴が知らないとは思えませんが、OD=死ぬ練習なのか、死ぬ練習は他のことなのかも知りたいですね。