自由
純も矢晴も思考による広がりだとか自由さを感じていて、ちょっとうらやましいな、と思ったりする。
考えることは好きだけれど、別にそれで自由を感じたことがないから、純の言う【第22話】『君の話を聞いた後はすごく考える』『処理しきれない時もある』『けどその後すごく頭が自由で世界が美しいんだ』だとか、矢晴の言う【第25話】『体調が良かったころは感情が邪魔することなくずっとなにかを考えられた』『考えれば考えるほど自由になれたし』といったあたりを理解できない。
ただ、矢晴の思考についての話の直前が『うん確かに』『漫画家として調子が良かったころまでは人としゃべるのは嫌いじゃなかったよ』なんだけれども、どうも話がつながらない気がしてしまう。「人としゃべること」の話はそこで終わってて、思考の話に移行してしまって、いきなり跳んだなという気分になるんだけれども。「調子が良かった頃」というつながりなのかしらん。
とはいえ、矢晴の思考の自由さ、というのは「家族のことを考えないこと」が条件になっているような? 矢晴にとって思考することは現実逃避で、思考の世界ではなににも縛られずに“自由”ということになるのかもしれないな、と、思う。
純は【第22話】で『今まで自分の思考に拘束具がついてたなんて感じたことなかったのに』『君に会ってからちょっとずつ外れていって』『今まで色々縛られてたんだなって分かるようになって』『ずっと走り回れるようになってすごくすごく思考が続くんだ』と自分についていた思考の枷のことを話しているから、純と矢晴の思考については、やっぱりちょっと違うのかも、と思うんだけど、到達するのは同じ場所、といった感じだろうか。
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