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今年は【売れうつ】にどっぷりいきたい

 新年明けました。年明け一発目に更新ないかな〜とソワソワしてしまったけれど、更新はなかったなーとちょっぴり残念に思いつつ、作者さんが良い年末年始を過ごされていたらいいなと思う。 去年は個人的な病によりいろいろとどっぷりとはいけない状態だったので、今年は以前のようにどっぷりいきたい気持ち。気持ちだけはあるけれど。 純と矢晴はどんな年越しをしたかしら〜と妄想したり。本編ではこれから同居1年目の初めての年末年始だから、年が明ける前に近所の神社に行って二年参りしてくれたらいいなと思ったりもする。 純が自分の友達と矢晴とを引き合わせたいようだから友達呼んで新年会とかしそうな雰囲気があるけれども、初めての年末年始、三が日くらいは純と矢晴とふたりきりでまったりと静かに過ごしてほしい。とはいえ、年末年始はお笑い番組多めだからふたりでお笑い見て賑やかに過ごすのかもしれないな、とも思う。 今年も純と矢晴が健やかに仲良く過ごせますように。

クリスマスが過ぎて

 リアル時間で考えると純と矢晴の4回目のクリスマスが過ぎたことになる。本編ではまだまだ1年目のクリスマスが過ぎて忘年会をしたあたりになるわけだけど。 さらっと数日経過していて純と矢晴がどんなクリスマスを過ごしたのかは描かれていない。純曰くで描かれるのを楽しみにしている。 二次創作で1年目のクリスマスのふたりの話を考えてて、ちまちまと進めていたけれど、結局間に合わなかった。 謝恩会の日に大雨大雪警報が出ていたほどなら、クリスマスに雪が降ったのではないか。ホワイトクリスマスでロマンチックな夜を過ごしたのではないか……? と妄想してみるけれども、忘年会やその夜のふたりの様子から考えると、そんなにロマンチックな一夜を過ごした気配はない。ちょっと残念。 純がクリスマスツリーに本物の樅の木を用意して、その後、庭に植えたらすくすく育って家に入れられなくなったりしないかな、とか、考えてみたりする。純ならやりかねん気がするんだがどうだろう。 お揃いのダサセーターでクリスマスを過ごすふたりが見たいなあ、と密かに思っていたら、そんなファンアートが流れてきて、ほっこりしている。ありがとうございます。 忘年会後の年末年始でちょうど時期もかぶることだし、年末年始あたりで更新あったらいいのになーと思うけれども、どうなんしょ。

古印葵じゃなかったら

 矢晴が古印葵じゃなかったら。 ということを考えてみる。そもそも物語が始まらないなあ……と途方に暮れるわけだけど。 矢晴が古印葵でないというのは、矢晴が漫画家でない、ということになるけれど。矢晴が漫画を趣味ででも描き続けていたらコミケかどこかで純と巡り合うことがあるかもしれないけれど、かなり途方もない確率になりそうな気がする。 古印葵に憧れてA誌でのデビューを志した純がいなくなってしまうから、純は別の雑誌でデビューしたものの鳴かず飛ばずだったりするかもしれない。純は純で、古印葵関係なしに売れっ子になっている可能性もある。 矢晴が古印葵じゃなかったとしても、家族問題に翻弄されてうつ状態及びアルコール依存にはなっていたかもしれない。けれど、そこに純からの救いの手は差し伸べられることはない。そもそも接点がなくて。 純が矢晴と会えたのは、そもそも純が古印葵のファンで、編集部でファンアピールをして会える算段を引き寄せた執念の賜物だと思うし、矢晴が古印葵でなかったらそんな執念も持ちようがなく、矢晴の窮状を知るすべもなく。 結局のところ、純と矢晴の接点がなくなればこの物語が始まらないので考えるだけ無駄なことだな、と思う。 矢晴が古印葵であって、純が古印葵のファンだったら、もし純が売れっ子じゃなかったとしても、矢晴の現状を知ったら一緒に住んで世話をすることを選んだだろうなと思える。 ただ、純が売れっ子じゃなかったら担当編集が漫画家の要望に便宜を図る、なんてことはなさげ。「古印先生のファンなんです」「へー、そーなんですね」で会話が終わりそう。その場合、どうにか打ち合わせの日程を聞き出した純が朝からずっと編集部付近で古印葵待ちをする図は容易に浮かぶ。怖い怖い。 そんなに売れてない漫画家が病人抱えたら半年もたずに共倒れにはなりそうな気がするから、純が売れっ子で良かったな。

好きすぎてパート22

 うっかり2ヶ月超えてしまった。 結局のところずっと【売れうつ】を読めてない。大好きな気持ちは変わらないんだけど。純と矢晴のことは大好きなんだけど。

客観視カメラ

 矢晴は普段の思索に耽るときには頭の中に客観視カメラが複数台稼働しているということなんだけれども。 客観視カメラってなんなんだ? という気がしないでもない。 矢晴は自分の思考に対して反対意見を常に持つ、というから、客観視カメラで自分の思考を観察し、それに対して反論の思考が生まれる、ということになるのかなーとは思うのだけれど。 単純に、客観視カメラが頭の中で稼働している、と考えると、「他人への自分の言動に対して、他者がどう思うのかを思考してしまう状態」を想像してしまったりもする。 よくある少女漫画やら陰キャ系の思考やらで「嗤われるかも」とか「気持ち悪いと思われるかも・言われるかも」といった他者の反応をネガティブに想起する感じの。実際は全然そんなことないやつ。むしろ、そのネガティブ思考が相手を人として信用してなくて超失礼な感じするやつ。と、思える。 矢晴の客観視カメラは、それとは違うんだよな? と思う。よくわからない。 矢晴が普段独りで考えるときには客観視カメラが稼働している・他人としゃべるときには客観視カメラを停止する、と言っていて、純が、こないだまでその客観視カメラが壊れていただろ、と言うから、余計によくわからないんだよなあ……。 第13話参照、ということだから、たぶん矢晴の記憶と純の記憶の違い、矢晴の記憶が反芻によってどんどん歪んでいくことが「矢晴が記憶を反芻するたびに、壊れた客観視カメラで記録しなおすためにどんどん記憶が歪んでいく」ということになるのかな、と思う。 うん、よくわからないけれども。

醜さ

 死神についてあれやこれや考えているんだけれども、いまいち文章にならないので、先に矢晴の言っていた【第17話】の『約束と一緒に私達の醜さも認めろ』の“醜さ”について考えてみる。 矢晴の首筋に大きな大きなキスマークがあったんだから、純は「私達(純と矢晴)の醜さを認めた」ということになる。純は自分自身が醜い心で矢晴を囲ってるという自覚はありそうではあるんだけど、純は矢晴の“醜さ”とはなにかどう考えてるんだろう? とは思う。 矢晴は【第25話】で『背中に欲深く穢(きたな)い毒虫(呪い)がついたのはそのせいだ』と矢晴自身の心の醜さを表明してくれたように思うんだけど、それは純は知らないわけだし。 【第17話】で矢晴が蛸のように絡みついて純を誘惑している、と純は認識しているんだから、そういったところを矢晴の醜さと解釈してるのかどうか。 純が矢晴(古印葵)を好きだ、という気持ちにつけこんで甘え倒している、というのが矢晴の認識な気はするんだけど。あと金持ちに寄生してる、みたいな意識もありそうで、一切合切、矢晴の醜さ、とは思ってそう……かなあ? とぐるぐるする。 そこらへんの、矢晴が認識している矢晴の醜さを純が感知できるのかどうか。とはいえ、純が矢晴を醜いと思っていなくても、純は純の醜さを自覚してるから、それを認めるためにキスマークつけるんだろうな、と思える。 でもそうすると、純は「純の醜さ」は認めてても「矢晴の醜さ」は理解していないことになるから、約束の印鑑も半分嘘っぱちになってしまうんじゃないかと……、またぐるぐるする。 そしてまた、矢晴は「純の醜さ」をなんだと思っているのか、というところがまたまた疑問で。【第25話】で【第4話・第7話】当時のことを『ああ』『私はコイツに今から』『襲われるんだって思ったんだ』『コイツに襲われて死ぬんだって思ったんだ』と言っているけれども、純が矢晴を見捨てない約束をしたから「今はないとわかっているけど、当時はそう思っていた」と話せるようになったことだよな〜と思う。 その当時に思った『なにかとんでもない目的がないと優しくしてくるわけがないおかしいって』『その時はそう思ったんだ』というところの「とんでもない目的」を隠し持っているだろう純を“醜い”と思っての【第17話】なのかどうか。どうか……? 違うか……、あれ? 違わないか……? ん……? と...

猫を数える

 純の『そんなすぐ眠れないかネコでも数える?』がとてもかわいくて。 定番なら羊だろうけども実際のところ日本語で羊を数えても無意味らしい。となると、純のネコを数えるは、だんだんと眠くなったり数えすぎて舌がもつれたりとで「ねこ……ねんこ……ねんねこ……」と子守唄のようになっていくのではないか、なーんて考えると、純天才! みたいな気にもなる。 矢晴の背中をとんとんしたりさすったりしながら、「ねんねこ、ねんねこ」と囁いて矢晴を眠りの世界に誘う純ったら、なんて素敵なのかしら。 とかなんとか妄想するけれど、純はすぐにでも眠りそうな気もするし、純の数えるネコはヒーローみたいに登場してはバトルを繰り広げて、とても眠るどころじゃないかもしれないし、などいろいろ考えてしまう。 それにしてもやっぱり純は猫好きなんだなあ。猫派だと思ってた。

■【売れうつ】の二次創作(54)(小説)

 書きかけのを進めようかなと読み返しつつ、あまりの暑さにかき氷ではしゃぐ純を妄想したので、かき氷の話。 ■

自由

 純も矢晴も思考による広がりだとか自由さを感じていて、ちょっとうらやましいな、と思ったりする。 考えることは好きだけれど、別にそれで自由を感じたことがないから、純の言う【第22話】『君の話を聞いた後はすごく考える』『処理しきれない時もある』『けどその後すごく頭が自由で世界が美しいんだ』だとか、矢晴の言う【第25話】『体調が良かったころは感情が邪魔することなくずっとなにかを考えられた』『考えれば考えるほど自由になれたし』といったあたりを理解できない。 ただ、矢晴の思考についての話の直前が『うん確かに』『漫画家として調子が良かったころまでは人としゃべるのは嫌いじゃなかったよ』なんだけれども、どうも話がつながらない気がしてしまう。「人としゃべること」の話はそこで終わってて、思考の話に移行してしまって、いきなり跳んだなという気分になるんだけれども。「調子が良かった頃」というつながりなのかしらん。 とはいえ、矢晴の思考の自由さ、というのは「家族のことを考えないこと」が条件になっているような? 矢晴にとって思考することは現実逃避で、思考の世界ではなににも縛られずに“自由”ということになるのかもしれないな、と、思う。 純は【第22話】で『今まで自分の思考に拘束具がついてたなんて感じたことなかったのに』『君に会ってからちょっとずつ外れていって』『今まで色々縛られてたんだなって分かるようになって』『ずっと走り回れるようになってすごくすごく思考が続くんだ』と自分についていた思考の枷のことを話しているから、純と矢晴の思考については、やっぱりちょっと違うのかも、と思うんだけど、到達するのは同じ場所、といった感じだろうか。

■【売れうつ】の二次創作(53)(小説)

 二人称小説が書きたくなったので。 あなたが6人目です。 ■