編集の
矢晴は、B誌での無益な2年半で鍛えられてしまって、A誌に戻った時には担当の言うままに作品を直し続けて体を壊してしまうけども。 編集は、最初の読者であり、商業として通用する面白さがあるかどうかの最初の審査員、みたいなものだけども、編集の言うままに作家性を殺し続けたら矢晴みたいに自己肯定を破壊されてうつなりなんなり病を得てしまうよ、という話ではあると思うのだけども。 編集が作家を殺す、ということも表現しているのだろうから、それなりによくいる“悪い編集”、が描かれているとは思う。 B誌の矢晴の担当自体は、矢晴の作家性を認めていて、矢晴自身も担当の言うことには説得力があるからと信頼していたけども、打ち合わせに4時間かかってその間他の作業もできないというのはけっこうな打撃。打ち合わせにかかる4時間と出版社への往復を考えるとバイトも休むわけだから完全に無収入であるわけだし。 作品を掲載する、という方向で、掲載用にと修正し続けたら、突然、ボツになる。というのが度重なって、結局1作も掲載されることなく2年半……というのは、長すぎた。 なんで矢晴はB誌なんかに行っちゃったんだよ。なんでもっと早くに見切りつけなかったんだよ……。とは思うけども、矢晴自身の欲とかなんかいろいろ絡んでそうな感じはある。 B誌については、「作家性を大事にしないで、売れるジャンルの売れる作品だけを掲載したいから、作家は使い捨て」みたいな感じはある。載せてみて読者の反応を見なけりゃ売れるかどうかもわかんないと思うんだけど。 矢晴が戻ったときのA誌の担当は、新人だったからか、作家性を活かすみたいな方向とかちょっといろいろ足りてなかったかなあ、という感じは強くて。そんなに作家と担当として信頼関係も構築しないまま、矢晴は担当の言うままに生活費を稼ぐためにと。 結局、そうやって作家性が死んだ作品は、ガチファンの純の心にも響かず『どうしてこうなった?』って頭抱えさせてるんだから、担当の言いなりで描いた作品がどうして良いものになろうか、という話でもあると思う。 ここから下は、自分語りを含めた余談なので、売れうつとは直接関係がないけども。 先日、「作家性を大事にしたいし、作家にももっと自分の作家性を大事にして欲しい」という旨のツイートが反対方向で解釈されて炎上して、それに対して「売れうつで見た悪い編集ってほんとにいる...