うつうつと
矢晴のうつはいつ頃からか、と思うと、B誌に移ったあたりから、と思う。
自分の漫画が採用されなくて、他の漫画が読めなくなっていったあたりから。
家庭環境の影響はどれくらいだろうかな? とは考えてみるけども、うつに陥る状態へと追い立てる感じはあれども、直接的な原因ではない気がするし。
矢晴が「漫画家として連載もって、安定して独り立ちしなければ」くらいに思い込んで自分を追い込むくらいには、父親から殴られて実家に帰ることも怖くてできないし母親にも助けてもらえないしで家族と疎遠になってたけれども、それがうつの直接の要因かというと、そうでもない、と思う。
A誌に戻ったときには、もうすでにかなり追い詰められてた状態で、B誌ではことごとく没にされ続けて自分の創作を否定されてきて、出戻ったA誌では連載枠をもらえたけれども、自分の創作を切り刻まれて、限界が来て。
父親の事件の連絡が来た頃には、もう、うつが発症していた状態であるから、家族のあれそれはアルコールへの逃避・依存の契機にはなっているけど、うつの発症には関与しない感じ。
B誌に移ったのは、ステップアップ(読み切り作家から連載作家へ)のつもりだったんじゃないのかなあ? とはずっと思ってるんだけど、矢晴が移籍を考えるにあたって、矢晴が2冊目の単行本を出して賞をとった年にデビューした望海可純の影響はあったのかどうか、というとよくわからない。影響はない気がする。
望海可純が連載開始した時期と矢晴がB誌に移った時期との前後がよくわからないけれど、今のところ語られている分で考えると、矢晴がB誌に移った後に望海可純が連載を開始した、ように思うから、矢晴が「ついこの間デビューした望海可純がもう連載を開始した。古印葵はまだ連載持ててないのに。私はダメなんだ」という気持ちでもってB誌に行ったわけではない、と思える。
望海可純の連載が先なら、デビューしたての新人作家に軽く追い越されて辛いし、今後もこの雑誌では連載が望めないかもしれない、と移籍を考えるってのはありそうなんだけど、どうなんだろう。
でもB誌にいた2年半、ってのを考えると、2年半が矢晴の記憶違いによる誇張でないなら、年末に賞をもらった年明け早々にはB誌から声がかかってすぐさま行ってる感じではある。
望海可純の連載って、やっぱりもともと古印葵の連載をやりたいって古印葵の担当が準備してた連載枠だったんじゃないかと、とても思える。古印葵がいなくなっちゃって用意した連載枠どうするよって白羽の矢が立ったのが望海可純というだけで。ただ、矢晴はすでにB誌に行っちゃってるから、古印葵が何年も読み切りしか描いてない雑誌でデビューしたての望海可純が連載もらってるのを見て、打ちのめされてた可能性はあるなあ、みたいには思うけども。
んでもやっぱりちょっと異質な恋愛漫画と王道バトル漫画とで、少年誌で連載やら人気やら取りやすいのは王道バトルだろうけれども、とは思う。矢晴が賞とってもずっとA誌で読み切りしか描かせてもらえなくて、その横でさくっと望海可純が連載スタートしていった、というんだったら、矢晴が望海可純を意識してたりするあたりは納得かもしれないけど、矢晴B誌に行っちゃってるしな……。むしろA誌の掲載枠を他の漫画家用に空けてくれたみたいになってるんだよな……。
なんで古印葵の担当は矢晴がB誌の誘いに乗ったのをよしとしてしまったのか、とても気になる。
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