矢晴の脳みそについて、つらつら考えながら、まだ19話〜の写経すら終わっていないけども、これまで「脳」とか「脳みそ」とかどんな感じだったっけ、とテキスト検索しててふと、【第13話・後編】の純の『脳は自分の行動に後から理由付けする性質があるって本に書いてありましたし』という台詞で、【第6話】の純の『これは慈愛』ったらそれはそれは後付けだったのだろうなあ、と思ったり。

純にとっては“性愛”は理解できないもので、愛情深い行動、として思い出すのは父親とその友人の“友情”“愛情”になるのだろうけど、純の話を聞く分には、その思い出すら純のなかで歪んでるんじゃないかなあ? というか、あのエピソードの感じだとやっぱり純は「父親の友人が約束を守らなかった」とかなりのわだかまりをもっていそうな気がするんだけどなぁ……。そこらへんも記憶なり感情なりを改変して「あれは慈愛」と思い込むことでどうにか保っているのかなー。

矢晴自身はうつによって脳の構造が変わってしまった、という感じがあるんだけども、純はそもそも脳に対する認識が不思議な感じがしてしまうのは【第16話】の『生まれた時人は服を着ていなかったように』『思考も言葉を持たずに生まれそして言葉を選んで着る』『人間の脳はそういうものだと思う』という考え方から。

純は矢晴の、というか古印葵の言葉を着たい、と言うけれど、純は矢晴は誰の言葉を着ていると思っているのか聞いてみたい。純にとっては古印葵が言葉の祖みたいになってるような気がするけど。


矢晴が『ろくでもない脳みそ』とか『私の脳がだめなせいだよ』とか言っているから、純も【第21話】で『ほら君脳みそのせいでなにが好きなのか分からない状態だろ』となんだか矢晴のことをよく理解ってくれているようなことを言ってくれるのかなあ、と思うんだけど。

ただ、果たしてあのランキングが「苦痛のないもの」しか書いてないのかどうかはわからない気がする。あの時の矢晴の表情も気になるし。

それにしても、あんな女性陣の前で完全なふたりの世界をつくって、純はわざとなのか無意識なのか。どうなんだろう。


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