想像・創造

 自分自身が“直接”体験したもののみが経験に非ず、と思っているので、創作物を読む・観るだとか、他人の体験談を読む・聞くだとかも、十分に経験になりうる、と考えている。

だから多くのインプットをすることで、経験の密度は高められると思っているし、それらから応用して多様に想像することで、キャラクターも物語も創造できる、と思っている。

だから、矢晴の言った『「インプットした情報が不明瞭だとアウトプットも不明瞭なものしか出せなくなる」〜』は真理だな、と思う。ただそれが夢の状況と沿っているのかどうかは疑問の余地がある。

純の言った『経験しないと描けない説は極端な思想だし』というのも同意しかない。

純が矢晴の創作論が聞きたくて『経験しないと創造は生まれないと思う?』と聞き、『絶対に経験値がキャラクター創作力だとした時 なんの反論もないの?』と煽ってるところが好きなんだけど、「反論ないの?」と言われて話しだした割に経験値絶対論に落ち着いちゃった気がするので、いまいち矢晴の長話には乗り切れない。

インプットは重要、それは間違いないけれど、創作者としての想像をひろげて、創造に昇華する、という話だったらよかったな、と思ってしまう。そっちのが私の思想に合致するので、共感・同調しやすくて「一緒〜♪」とはしゃげたのに、矢晴は違うんだなあ……とちょっとしょんもりしてしまう。


ついでについこないだまで「自己とはなんぞや」とか「自己とは他人に作られたもので自分じゃない」的なことを言っていたような気がするから、矢晴の今回の主張の「自己のなかの複数の意識を掘り起こす」ってのが、どうにも、ちょっと、「矢晴がすでに自己を取り戻した〜わ〜い」って方面には行けず。矛盾だとかストーリー上の強引な転換みたいに見えなくもなくて、ちょっと嫌。


コメント