創作論
創作論は語るのも聞く(読む)のも好きだけれども。
売れるための創作論(方法論)と、表現のための創作論と、いくつか種類はあるかと思う。
矢晴は純の語る創作論を「売れるための」と考えながら聞いてた節があって、『それを全部やったところで作った作品(もの)がベストセラーになるかっていったら――』『全然そうじゃないんだよな』と若干冷めた目で見てる。
『頭で分かってもできはしないことの方がこの世には多いんだよな』と考えてる人があんなこと言うかね……と頭抱えたくなるんだけど。
各作家の表現のための創作論がバチッとハマって出来た作品が多くの人に「これはすごい!」と受け入れられたら売れるだけだから、そもそも「売れるための」とか「これをすれば売れる」とかってのはないんじゃないかな、とは思う。
ただまあ、人気の出やすいキャラクターのテンプレ、的なものはあるなあ、と思う。(ただ、右も左もそんなキャラで溢れてて没個性の気味もある)
矢晴の語るキャラクターの作り方、ってのは常人には真似できそうにないし、「人気の出るキャラクターの作り方」とかが知りたそうな純のアシスタントたちには刺さらない。
正反対の特性を持ったキャラクターをペアで用意する、ってのは、純の言った『キャラ同士の差異をどんどん作って〜』『キャラ同士に思考の差異があり〜』にも近い話になるかな、と思うんだけど。
矢晴の話でアシスタントたちにも出来そうな実用的な部分は「正反対の人格をキャラクターの雛形にする」あたりから「ストーリー上の役割に応じたパラメータ」「性格」「過去」「信条」「未来」「個性」あたりまでで、純もそこでまとめようとしてたのもわかる。
よく語られる創作論では、「キャラクターの履歴書をつくる」とか「キャラクターの年表をつくる」とか、そのキャラがどういう経験をしてきてこの性格になったのかを考える、みたいなところ。
矢晴が言っていたほど深く深く作り込んであるキャラクターってのがこの世の創作物のなかにどれほどいるかはわかんないけれども、純はそんな古印葵の生み出したキャラクターの奥深さに心掴まれてて、それを生み出した古印葵に心酔してるわけだ、と納得してしまう。
このあと、純が矢晴の語ったキャラクターの作り方をがんばって自分のものにして「最近の望海可純の漫画、人物造形が深くなってますます面白くなった」とか言われるようになったらいいなあ! とか思う。
純自身は脳内会議がえらいこと盛り上がるくらい自分のなかに複数の人格持ってるしね!
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