自分に力があったなら

 【売れうつ 第1話】のキャプションにある『手の届かない範囲の好きな人たちが死んだり消えたりするたびに起こるスパダリになりたい気持ちから生まれた話。』というこの物語の根幹。

「自分に力(財力・行動力などなど)があったなら、好きな人達の困窮を助けることが出来るのに」という思いが具現化したのが「売れっ子漫画家(財力のある)である上薗純(行動力などなどがある)」というキャラクターで。

「現実にこんな人はいない」というのは当然のことで。むしろ、「なりたい理想」じゃないのかなーと思うわけで。いやほんと、自分に財力があれば、金に困ってる好きな人たちを囲いたいけど、そもそも、そんな金はねえ! みたいなもんで。

【上薗純、曰く】で語られる、純の古印葵への気持ちだとか、編集部で「死んでるかも」って最悪を想像させられたときのショックとか、『なんであなたがこんな目に合わなきゃいけないのか』『納得できない』という言葉とか、ものすごく共感してしまうし、古印葵への執着とか狂信みたいなものも「すごくよくわかる」と思ってしまう。

だから、純の『これは慈愛』をまったく信用してないのだけど。

矢晴の境遇や心境は現実の自分に近くて、純の心境や行動は自分の理想でもあるわけで、どちらのキャラクターにも感情移入するんだなあ、と思う。

矢晴も純も大好きだー! ふたりで幸せになってくれー! といつも思ってる。


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