えらい

 【第14話】散歩先の公園で、純が矢晴を『……じっと座ってえらい』『パニックになったら外だろうとその場に寝れば治りやすいしちゃんと休んでて偉い』とほめるけれども。

「えらい」って言い方は、矢晴にとっては褒め言葉にならなくて、余計に追い詰める言葉のようで。矢晴は『なにが偉いんだ?』と声を荒らげる。立派でもなければ優れているわけでもない。そもそも、こういう「えらい」という言い方は、立場的に上の者(親など)から立場的に下の者(子)への言葉になるような。

私もよく、純や矢晴が良いと思われる行動をしたときに「えらいぞ、純」とか褒めてるけども、完全に部外者で神の視点から覗いているうえ、本人に聞こえないことがわかっているから、というところもあり。

矢晴が「えらい」と言われても『なにが偉いんだ?』と否定して、『ハグしに来なよ』と言われて『なあ……私のこと幼児だと思ってるのか? お母さんごっこか?』と問うのは、「えらい」という言葉をかけられたことが「子供扱いされている」という感じにも思えるからだろうなあと思う。

古印葵が好きで矢晴に憧れてて、うっとりと崇拝してもしょっぱい対応されるし、あれやこれやと世話を焼いたら赤子扱いされてるって思われてるし、純がなにをやっても矢晴に受け入れてもらえない雰囲気になってしまうのは矢晴の心の問題なんだけども、純も矢晴を上に見たり下に見たりしないで対等を目指してほしいところだ。


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