承認欲求のこじらせ方
なんていうタイトルだけど、別にこじらせ方のレクチャーではない。
こじらせてる人の相手して疲れた経験はある。「自分の作品のほうが上手いのに、あんな下手な作品に多くのブクマがついてるのはおかしい!」と憤慨してたり、「前回のものより今回のもののほうがブクマが少ない。やっぱり私はダメなんだ」的なこととか。
別に、ブクマやいいねの数で自分の承認欲求を満たすのはいいと思う。目に見える形での承認なわけだし。ただ、数の多寡とか、人と比べて少ないことで自分は無価値とか自分には才能がないとかいう方向に思考を持っていくのが、そもそもおかしいと思っている。
以前のものより承認数を増やさねば! という思考で、他人の好みに媚びたものとか流行に乗ったものを出し続けたら、もともとその人の作風を気に入ってファンになった人たちを振り落としていくわけだし。たぶん一番大事にしなきゃいけない「自分の作風とそのファン」を、承認数を増やしたいってだけの欲望で切り捨てて、後に残るのは枯渇した自分だけになる。
「己のために創作せよ」ってのは大事な考え方だよな、とすごく思う。己のために、というよりは、自分を大事に、と思うけれども。
ただ、自分が世間でどのように評価されているのか、とか自分の才能はどの程度のものなのか、は他者評価を得なければわからない。そんなこと知らなくても大丈夫な人が一番強い。
人の好みは千差万別だから、「面白い」「どうでもいい」「つまらない」の3評価で受け付けたとして、たぶん「面白い」の得票数が一番少ないんじゃないかなあ? と思っている。比較的感性の合う人、と母数を減らせば減らすほど「面白い」の得票数は増えると思うんだけど。
そんな狭い世界なんだよな、と。
矢晴は承認欲求のために自分の作風を切り捨ててきたわけじゃないけど、編集の意向が「売れるもの、流行るもの、人気の出るもの」というもので、そこで矢晴は自分の作風を切り捨てさせられてきた、感じにはなると思う。
でも、矢晴の本質のなかに、「売れたい」とかはしっかりありそうだから、今は特に「売れない自分は無価値」とかは思ってる感じだけども。そりゃもう、普通に作家として生計立てて、って考えたら、売れなきゃどうしようもないんだけど、矢晴自身はA誌にいた間、漫画専業で生活できてて賞までもらって多くの承認を受けてきてて、そこまでは順風満帆だったわけで。
そのままでよかったのにねえ……。
コメント