悪意

 というタイトルで始める割に、まずは、ここのところコメントを多くいただけていることへの感謝をば。

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で、本題。

【第23話】で純が『「言われたい感想」は「憧れ」にしていいが「正しさ」にはしない』『それしちゃうと「こう言われたくない」を全部悪にしちゃうから』『人の悪意はこの世にあるだろうが人の善性や知性を必ず信じる』と、自身の創作を発表した時の他者の反応に対しての心構えを語る。

あんまり純っぽくないんだよなあ……と思ってしまうのだけど、純自身、売れっ子なので、アンチ的に悪意をぶつけてくる人とかはいそう。でも、全員がアンチでもなし、悪意でもって攻撃してくる層なんてのは、ごく一部で、大多数は好意的で、また表現を理解してくれるだろうと思う。

矢晴は自身の作品に対して、「つまらない」と言われたくない、という思いもあって、描く気になれない、と言うけれど、どんな大傑作を描いたところで、刺さらない層は必ずいるだろうしなあ……と思うと、どれだけ矢晴が無い物強請りをしているのかと。ついでに目の前の古印葵ガチ勢に古印葵の漫画読ませたら大絶賛するが? それは無視か? という気にもなる。目に見える古印葵ファンにつまらないと見限られたくない、という思いは密かにありそうではあるけれど。

だいたい、純が売れっ子で〜って言ったところで、人口比で考えても漫画を読むごく一部の層のうち、純の漫画を楽しんでいる層なんて、ものすごく少ない、とも言えるわけで。純の漫画を楽しんでいない層はそもそも漫画を嗜まない人が多いけれど、漫画を読んでも望海可純はいらない・つまらない、って思ってる層がいるわけだからさー、というのはふつうに思う。


実際のところ、悪意でもって攻撃なりなんなりしてくる層というのは、作品の出来はどうでもいいって人ばかりになる気がするから、そもそも相手にする必要はない、と思う。

作品内にありもしない悪意を見出す人や、作品の表現に対して自身の思想と合致しないからと敵認定する人なんかもいると思う。思うというか、わりとよく見かける。そういった人たちは、「悪意で攻撃する」というよりは「自身の正義に則って悪を成敗」と思ってそうなので、相手にするだけ疲弊する。「正しくないものは悪」という思想によって、弾圧される感じ。恐らくもともと悪意を持っているわけではないだろうが、「(ありもしない)悪意を見出したので(攻撃されてないけど)反撃してます」とか「正しくないもの(と判定したので)矯正してあげます」くらいの、本人的にはかなり善意であろうから。(はたから見ると悪意マシマシでものすごい言いがかりをつけて攻撃してるようには見える。)

作品に対しての、正当な評価としての「つまらない・面白い」には、聞く価値があるとは言えるんだけども、それが正当な評価であるか否か、を判断するのはわりと難しい。好みの問題でもあるし、傑作と比べて・売れている作品と比べて、という評価軸だったら正当な評価と言えるのかどうか……と悩む。

四階が古印葵の作品を罵倒した時ってのはたぶん、「売れ線の作品と比べてつまんない」という主張であったのではないかと思われ、そもそも古印葵を理解できる人間でもなさそうなので、聞く耳持つ必要もないんじゃないかなー? って思える。ついでにB誌で古印葵を没にしまくってた人も「売れ線じゃないから」以外の理由がなさそうなので、そもそも古印葵を起用する必要がなかったじゃないか、なんで拘束したし、と怒りが湧いてくる。

作品の評価に見せかけた人格否定とか、悪意マシマシでやってくる人もいるにはいる。四階もこのタイプだったりするかしら?

作品を評価、批評したら人格攻撃が返ってくることもある。「面白い、凄い」といった褒め讃える以外の評価をすると、攻撃される。これが純の言うところの「こう言われたくないを全部悪にした」状態なのだろうな、とは思う。


自身の作品を多くの人の目に晒す場合、自分が最高傑作だと思っていても全員が同じ感性を持っているわけではないから、面白いと思う人・つまらないと思う人というのは当然出てくるわけで、その割合によって人気・不人気が分かれる。

人気になりたい、と思うなら、多くの人に面白いと言われなきゃならないけれど……というあたりで承認欲求をこじらせていくんじゃないかと思う。作品を向上させたいのか、ただ持て囃されたいのか、とかいろいろ方向はありそうなんだけど。

ちょっと話がそれた。


面白いと言われたい、つまらないと言われたくない、は似ているようで全然違うよな、と思う。純の言っていることは、作品を発表する者の心構えとしてかなり有効だと思う。

「こんなつまらない作品を出す作者もつまらない人間だ」みたいなことを言うような人もけっこう多くいるはいる。人格攻撃してる時点でかなり悪意を感じる。そしてまた「作品がつまらない」と言われただけで「作者もつまらない人間だ」と言われたつもりになってる人もけっこう多くいる。

矢晴はこうやって言われてないこと補っちゃってダメージ受けてる感じだし、そもそもまず作品見せてもいなくてつまらないと言われてもいなくてという状態の、言われるかもしれない妄想でダメージ受けてるから純が止めてくれてよかったな。


「この世に悪意はない」なんてのは嘘になるから『人の悪意はこの世にあるだろうが』という純の言葉の誠実さが好きだなあ、と思いつつ、作品への感想評価でなにが悪意でなにが悪意でないかを考えてみた。

それぞれの内心の問題だから悪意のあるなしなんてものはわかんねーけど、「人の善性や知性を信じる」くらいしかやれることはないよな、と思ったりした。


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