龍涕の

 純がやっと理解できてきたかも、という「龍涕」の龍の台詞。

『「色々なものに自分の面影を残すからあなたの憎い相手にも私の面影を見て世界を愛しなさい」「私を愛したければ世界を愛しなさい」「そうすれば愛は返ってくる」』

純にとって、当時、この龍の台詞は理解できていなかった、らしいのだから、純の思考や行動原理に、「嫌い・憎いものでも愛する」「博愛」だとかの意識はない。

実在する人間に欲情したことがない、というあたりからも、誰かを愛したことがない、とも思える。好きなもの、好感のもてる友人などはあれども、一番の幸福・快感を感じるのは自分の漫画を考えている時っぽい。

【第17話】の『矢晴は……』『……あんな相手にも〈それ〉ができるのか』『相手の脳を再現することだよ』『私は心を惹かれた相手やモノにしか〈それ〉ができないし』『矢晴に関しては底知れなくて把握しきれない』と言っていて、純は自分の好きなものや相手に関しては深く考えるけれども、好きではないものにはとことん無関心だった感じ。

純が矢晴のことがわからないのは、「龍涕」の龍の台詞がわからないことにも通じそう。矢晴の思考・感情・愛情の広がり方自体が、純の考えの及ばないところまで広い感じもあり。だから【第13話】で『もっと色んな事を考えて答えられるようになりたい』という思いにもなり、『私もそんな話ができたらなって憧れてる時のポーズだよ』なんてことにもなり。

矢晴が【第11話】で『他人に愛される弱者しか救われないって話ですか?』〜『好きなものしか愛せないのが人間の弱さですから』と語ったことを、純が熟考し、【第17話】の矢晴の激情に打たれ、【第20話】で気づき、【第22話】で言動に現れて矢晴に『だけど今は色んな人に対して性格が優しくなったと思う』と言われるほどになり、『嫌な人もどんな人もないがしろにしないでいたいって思ったからで』と話し、『全然まだまだ綺麗ごとだけど…』と謙虚さもあり、実践に遠く及ばないという実感もあり。

矢晴との対話を経て掴むことのできた、龍の台詞の解釈を話す純に矢晴は『自分の漫画の話されるの恥ずかしいからやめて地獄』とかまで言ってしまうけれど、内心はどうだったんだろうかな? 理解されて嬉しいとかあったかな?

純のこれまでは狭義で排他的な範囲にしか好きという気持ちがなかったし、好きな人を集めて暮らしたいという話のなかでも『最近は大学院生にも興味があるかなあ専門知識ってネタとして魅力的だし』と「自分にも利があるから」と無条件の善意ではない感じ。

「龍涕」の台詞がわかってきたことで、純の愛の範囲は矢晴には及ばないまでもかなり広くなるんじゃないかしら? と思える。


ついでに、あの夜、家に帰ってから純は「龍涕」読み返したでしょ! 10回くらい! と思う。


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