褒められたから

 矢晴は「人に褒められたから」絵や漫画を描いて、漫画家を目指して、と他人の評価によって自分の進路を決めてきた、みたいに言うけれども。

もともと、矢晴自身が絵を描くことが好き、漫画が好き、で、「好きな絵を描いていたら上手だねと褒められた」「漫画を描いたら面白いねと褒められた」というのは、矢晴の才能を周囲が認めた、矢晴の技術は褒めるに値するものだった、という才能の証明なのではなかろうか……?

と、【第23話】を読むたび思う。

「好きなものを褒められたから嬉しい、だからもっと上を目指したくなった」という、根源的に、絵や漫画を描くことが好きなのは誰なのか、みたいなところを、矢晴は落っことしてる感じがする。

だって、嫌いなものを褒められてもうれしかないし、それでプロを目指そうとかなんないし。「嫌いだけどむっちゃ才能あったからプロになっちゃったけどやっぱり嫌い」ってことはありそうだけど。矢晴は漫画大好きじゃん!

それこそ、【第14話】の純の言った『子供の性質は人間の持って生まれた性質だよ』『性質は成熟過程で薄まりはしても消えはしない』『みんな死ぬまで持ってる君も私も』の通りに、矢晴は小さい頃から絵が好きで漫画が好きで、死ぬまで漫画家でありたい人だろうし、創作できなきゃ死ぬ人なんじゃないかなあ? と思う。

今は、B誌では好きなものを描かせてもらえなかった、何を描いても没にされた経験と、A誌での好きでもないもの盛り込んで切り刻まれてぺらっぺらになった漫画を描いてしまったという後悔とで、創作に意欲が出なくて、創作できないから死にそうになってると思うんだけども。

自己の形成に他者の影響(学習など)があるのは当然のことだけども、それを取り入れるにあたって「自分」が選び取ったこととか興味を持ったこととかが基本だろうし、他者評価によって自分の向き不向きが明確になるとか自信になるとかはあるだろうけど、【第23話】の矢晴の話は、「全く無の状態から他人の言葉が自分を作ってきてそこに自分の意志はない」と言っているように聞こえてしまって、どうにも、ムカつく。


今の矢晴は「人に褒められたから自分には価値がある」とか「人に貶されたから自分には価値がない」みたいな基準で考えてるような気がするけど、そもそもその価値基準を捨てれ。ふんまにもう。

褒められたら嬉しい! ってだけでいいじゃんよ。純も褒められることが好きだってよ。


上の文章とは全然関係ないけど、矢晴のお母さん、コミュニケーション不足ではあるけど過干渉でもなし愛情がなかったわけでもなし、って感じだから、矢晴が純に『母性ぶって支配しようとしてるんだよ』って言った母性ってどこらへんからの想起なんじゃろ? って、ちょっと気になった。「母=支配」ではなさそうだから、まあいいんだけど。


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