ぬるま湯

 矢晴は今の純の家にいて純に世話してもらっているのを「ぬるま湯につかっている」と言うけれども、そもそも病気療養中であることを思い出してほしいな、と思う。

金の心配もいらない、住居の心配もいらない、衣食住に満たされて、まずは心身を立て直そうという、療養中じゃないか、矢晴よ。

自立志向が高いというか、他人の世話になりたくない、施しを受けたくない、惨めになりたくない、とかのいろいろなプライドなのかなんなのかが高すぎて、純の家で暮らすこと世話されることにも抵抗があるみたいなんだけども、いいじゃんもー甘えろよーーー!


ただ、純が「漫画を描かなくてもいい」って甘やかしてくる状態を「ぬるま湯」と言って「だから描かない」ってわけでもない感じが、“ぬるま湯”という語から想像する創作者の姿ではないな、と思える。

仲間内で褒め合うだけで、特段作品を完成させるでもなく賞に応募するでもなくプロになるための研鑽を積むでもない、“ぬるま湯”ってあるじゃん。その仲間内ではどんな駄作も傑作だと褒めねばならん同調圧力とかあったり。なんかもういろいろ。創作者としてダメになりそうな“ぬるま湯”。

矢晴が他人が言う通りに人生の進路決定をするなら、〈純が「描かなくていい」って言うから描かない人生を選ぶ〉ってなりそうなのに、矢晴自身は漫画を描きたいけど今は描けないから、どうにかして描かない理由を集めつつ描きたい気持ちに蓋をしようとしてるみたいな。

と、書いてて、固い瓶の蓋って矢晴ががんばって締めてんだな、と思った。


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