天才か秀才か凡才か
矢晴と純の才能について。
私は、このふたりは「種類の違う天才同士」と思っている。
「矢晴を天才、純を秀才」と考えている人もよく見かけるし、「純は天才、矢晴は凡才(凡人)」と考えている人も見かける。作中では【第2話】で純のデビュー作のアオリには『22歳鬼才現わる!』とされてはいる。
矢晴が、デビューしてから2冊目のコミックスで、国内、海外のコミック賞でそれぞれ部門賞を獲っていることから、「なんだ、結局才能がある人間の話か」とがっかりして読むのをやめた、という方も見かけたことがある。「なんの才能も取り柄もない凡人な自分」に引き寄せられなかった、共感できなかった故だろうと思う。
「なんの才能も取り柄もない凡人がある日突然、超ハイスペックの人に愛されて」、というのは、ハーレクインや少女漫画では王道の、マジック・フーフー系の物語ではあるけれど。夢気質の高い方が好みそうな物語かな、と思う。
もしも、矢晴が凡人だったとしても、「望海可純にとっては、古印葵である福田矢晴は天才」なわけで、結局は「天才×天才」の物語ではあると思うのだけど。
【第10話】【第11話】で、矢晴の漫画家としての才、人間性が描かれていて、そこに「古印葵(福田矢晴)の才能」の片鱗を感じている人は多い。【第3話】の編集部で純の本質を分析し対処を考えていたところからも、矢晴の聡明さがわかる。
エピソードが進むにつれて、むしろ望海可純=上薗純のほうが、「要領と運がいいだけの凡人」に見えてきて、古印葵=福田矢晴の才が際立って見えるようには思う。
それが「天才を表現するために周囲を無能にする」という技法でなければいいなと思うのだけど、どうなんだろう…? とは考えていたりする。純自身、古印葵の前だと舞い上がってしまってややポンコツになる、くらいだとかわいくて仕方ない気分にはなるなと、思う。
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