読者への信頼
【第10話】での純のネームに関しての古印葵の提案と解説について思うこと。
古印葵は「人間」を知ってる・多角的に想像できるのだなあ、ということ。視覚情報が記憶や思考に与える作用とか、さらには身体反応に至るまで。心の機微とかまで、すべて知った上で理論的に紙の上に表現できてしまう。まさしく天才。
そしてまた、その表現をすることによって、どのように読み取られるのか、ということについて、かなり読者を信頼していると思う。「わかる人にはわかる」「わかる人がわかればいい」というレベルではあると思うけども。
対して、純は、読者を信頼してないんじゃないかなーと、思う。だから、自分が表現したいことを読まれたいように読んでもらうために、言葉で事細かに説明してしまうのではないかと思う。
それが、矢晴からの評価では【第10話】『言葉で説明してもらわないと理解できない人は大勢います』『純さんの漫画は言葉が親切です』となるけども、純自身は【第3話】『セリフ長いし理屈っぽいし古臭いし野暮ったくてダサくなるし』【第10話】『長編って設定が複雑になる分説明も多くなるし』『ゲームのチュートリアルみたいなキャラが多くなればなるほど雰囲気が野暮ったくなるじゃないですか』と、言葉を多く使ってしまうこと、絵で語れないことを「野暮ったいと嫌う」んだろうなと思う。
【第5話】【第6話】の純視点の話からして、純は人間が嫌いだよなあ……と思えるのだけど。「古印葵を認めない人間が嫌い」なのか「そもそも人間が嫌い」なのかと考えてみると、「そもそも人間が嫌い」でその中でも「古印葵を認めない人間はもっと嫌い」な気がしてくる。そして「古印葵は神」みたいに思ってそうだなと。
古印葵との漫画談義のなかで、純が「読者を信頼すること」に気づくか知るかできたら、望海可純の漫画は純の理想の漫画に近づくだろうなと、思う。
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