運の良さ
作中で、たびたび純は「運がいい」と言っている。降って湧いた幸運であるのか、自らが引き寄せた必然であるのか、純が努力や詳細を説明するのを避けるために「たまたま」「運がよく」と言っているのかは定かではない。
【第5話】アシスタントとの会話で『だから正直なんで売れてるのかよく分かんない私って運がいいからなあ!』と言っているが、実際は「売れるものしか描いてない」と思っているかもしれないなとも思える。この時点で、純はアシスタントとのライングループを退会した後なので、アシスタントに対して表向きの顔をしているようで本音は絶対言わなそう。
【第8話】矢晴の通う銭湯が休業で矢晴を家に連れて行けることになった際『こればっかりは私の運が強いとしか言いようがなーい』と、僥倖を喜んでいる。この言い方と比べると、アシとの会話での「運がいい」は「本当は運がいいとは思っていない」ように感じられる。
【第3話】『この世に中学2年生向けのマンガを読む人が多くて』『私がたまたま得してるだけですよ』これは、古印葵の前での謙遜でもあるし、正直な気持ちでもあるのだろうと思う。謙遜も下手だな、と思えるのだけど、悪い言い方をすれば「この程度のもので喜ぶ人間が多くて世の中チョロい」みたいな雰囲気を感じてしまったりもする。
「古印葵を認めず、望海可純の漫画をもてはやす低俗な世の中」に純が納得いかないのも、純自身が「チョロい世の中相手に売れるメソッドだけ詰め込んだ、低俗な漫画を描いている」という自覚があるからかもなあ? とも思えて、売れていることに関しては本当は「運良く売れた」とは思っていないように思える。
とか考えていると、純のメンタルがむっちゃ心配になってくる。これ、普通に病まない? 漫画描くの楽しい? ねえ…?
そこらへんの、純の内面の正解がまた「純の視点」で描かれてくれたらいいなあ。はよう続きが読みたい。
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