野暮ったさ
純のいう野暮ったさがどんなものかと考える。 どうも世間一般というか辞書による言葉の定義とはズレたところにありそうな気がするんだけども。 【第3話】『私が描くとどうしてもセリフ長いし理屈っぽいし古臭いし野暮ったくて ダサくなるし画面のセンスもいまいちで言語化できない部分の惹き込みが弱いんですよね』 【第10話】『長編って設定が複雑になる分説明も多くなるし』『ゲームのチュートリアルみたいなキャラが多くなればなるほど雰囲気が野暮ったくなるじゃないですか』 【第11話】『私どうしてもストロークが下手で』『線を重ねがちでこういうガサッとした絵柄になっちゃいまして』『いる線いらない線の取捨選択も苦手で絵が野暮ったいんですよね』『正解の線だけ残せてないっていうか』 野暮の対義語は粋とか洗練とかになるかとは思うのだけども。センスの良さとか。 純のいうところの野暮ったくないものは、「短い言葉でセンスよく核心をつくようなセリフ回し」「洗練された雰囲気」「正解の線を選びとり整った絵」って感じかなあ? 純が古印葵を褒めるときにはだいたい「センス」って言葉を使うから、古印葵のセンスの良さが一番理想で憧れなんだろうなとは思うのだけど。 純の暮らしぶりはけっこうセンス良さげには思えるんだけども、作風のセンスの良さと日常のセンスの良さは違うか。純が思う「野暮ったさ」がどんなものなのかは、やっぱりどうにもわからないなと思うのは、「望海可純の漫画」そのものを読めないからかな。んでもまあ、あの流行りの漫画っぽい感じかなー?という雰囲気は感じる、ような気がする。