だんだんと

 漫画っていうのは、連載が続くにつれて絵柄が変わっていくものだなとしみじみ思うわけだけども、【売れうつ】も、最初は完全に下描きモードで描かれてたはずなのに、今は「これが下描き…?」というレベルに感じるほどしっかりした線が入っているように思う。トーンとかの効果もしっかり入れられていて、これが息抜きで下描きと言われると世の漫画描きさんはそれはそれは恐れ慄くのだろうなと思った。

個人的には、そこまでしっかりした線にしなくていいから、さくさく更新してほしいという、かなり身勝手な欲望を持ってしまうのだけども。だって、はやく続きが読みたい。

もはや、下描き、ネームといわず、プロット、セリフのテキストだけでもいいから最後まで知りたい……という気にもなりつつあったりして、自分を殴りたくはなる。

だって、毎度毎度、次はどうなんの!? って気になっちゃうくらいに漫画がうますぎて。

だって、『まだ古印葵は死んでない』んだよ!? でも、転居1週間であんな動けないなんて、続きが気になるー。1年後に古印葵の漫画読んで望海可純が描く漫画も気になるー。

だってもー。だってが多い。

なんかちょっと二次創作してみたら、気持ちの整理がついちゃったというか満足したというかで、ブログに吐き出したい気持ちが薄れた感じがしないでもなく。創作ってやべえな、という気分にはなる。うずまく気持ちの大放出だもんな……と、考えると、『漫画への思いは漫画で描いて返す』っていう純もそうとうヤバそうな気がしないでもなくなってくる。

この時の望海可純の漫画は大衆受けしやすい系統の「望海可純の漫画(言葉が親切)」なのか、必要最小限のセリフ、絵や画面構成で魅せる映画のような漫画で描くのかと気になる。

純もそんなに自分の漫画に不満があるなら、連載の傍らで古印葵みたいな作風を目指した短編でも描いてみたらいいんじゃないのか…? と思ったりもしたけれど、たぶんそれをやるとどっちもダメになるんだろうな、という気がした。器用にいろんな作風を操れるようになれば最強だろうけど、純はそもそも「古印葵みたいな漫画を描きたいけど自分には描けない・自分が描くとそうならない」ってのが悩みの種っぽいし。

難儀だねえ。


また別の話だけども、【第10話 経験・アンデッド】で、矢晴が純のネームを読んだ後、『まんまと流されて一年ぶりに漫画を読んでしまった…』って思っているところ。「二年ぶり」の間違いであるのか、「自分の最後の漫画から一年」という勘定であるのかが、ちょっと気になった。

【第4話】で『2年近く前から漫画自体読む気力がなくなってまったく読まなくなったし』『漫画はもう1年くらい描いてない』と言ってるから、どっちだろ? という気分。いやまあ、別にどっちでもだいじょうぶなんだけど。


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