古印葵の漫画
古印葵は自分が理想とする漫画を描けていた。読切の短編ばかりとはいえ、単行本が2冊(約400ページ)発行できる本数を描き上げ、24歳で発行した2冊目の短編集『Unexpected Encounter』では、国内・海外の漫画賞で部門賞を受賞するほどの実力であった。
B誌に移り編集の言うことが二転三転して一向に掲載されない漫画を必死に描きながらも画力は向上していた。けれども、A誌に戻り連載枠をとれたものの、新しい担当とつくりあげたものは古印葵らしさの失われた作品となり、漫画家としての古印葵=福田矢晴は病んでしまった。
古印葵が描く漫画はどのようなものであったのか。作中で古印葵の熱烈なファンである望海可純が語る。
【第3話】『古印先生の作品ってセリフが洗練されてて必要最小限で全部がちゃんと話にハマってて空気ができあがってて…』『絵が映画みたいでページ全体のデザインがセンスがあって線はシンプルだけど確実に正解を選んでてカットの選び方とストーリーへの組み込み方と描き方…一番すごいと思ってます理想です』『ここでこの絵を挿入するなんてどうやって思いつくんだろうってところが本当たくさんあって何を参考にしてるのかってすごく気になります』『小窓から宇宙をみせるような/漫画の中で 一番かっこいい』
【第5話】『異質だった』『恋愛を扱ってるけどA誌によくあるラブコメではない/コマ割りは少女漫画の技法も取り込んでいる/線はシンプルめでカラーも線画も透明感のある絵柄/だけど少女漫画とも青年向けとも違う/ジャンル分けできないからサブカルにあたるのだろうけど乱暴に括ってそこで思考停止するのはあまりにももったいない…』
『きれいで寂しい世界の中で情動が夏のアスファルトの陽炎みたいに揺れてる』
望海可純こと上薗純は、初めて読んだ古印葵の読切漫画をその場で10周してしまうほどに心を掴まれている。『今まで触れられたことのない場所を触られたような…』と、ファンと言うには、あまりにも深く古印葵の漫画が純を虜にした。
古印葵自身は、授賞式でのスピーチで、【第5話】『――きれいだな忘れたくないなと思ったものをカメラで撮るのが日課で/漫画も/忘れたくないと思ったモノや感情を取り込んで形にしてます』と話している。また【第6話】では、純との散歩中に見かけた「ミント色が錆びた鉄柵の配色の珍しさ」に立ち止まり心を動かす。純が初めて古印葵の漫画を読んだときの印象とあわせると、感性・感受性の高さがうかがえる。
【第10話】での、純へのアドバイスからは高度な言語化とそれを映像に落とし込む演出力などが見え、再三に渡り純が言っていた「古印葵は天才」という言葉を裏付けた。
古印葵の漫画は、大衆が理解しやすい「言葉によって説明する」漫画ではない。絵や映像で理解することに長けた層には訴えるものの多い「映画的な、言葉で説明しない」漫画となっており、大ヒットを狙えるものではなかった。
【第1話】でA誌に戻った際に新担当とつくっていた漫画は大衆受けを狙ったものであったが、『つまりプライドとアイデンティティは捨てなきゃいけない』『自分の一番大事なものを根本から否定する作業なのだともっと早くに気づいていればよかった』と語るように、古印葵の漫画に対する姿勢は病むほどに高潔であった。
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