望海可純の漫画

 望海可純が理想とする漫画が古印葵の漫画である。望海可純としては古印葵の世界観やテクニックが再現できず、自身の漫画に不満がある。

漫画家としては、理想の漫画に近づくことすらできず、自身が不満を感じている漫画が人気が出ていて、継続することを強いられているという状況を考えると、望海可純も潰れてしまった古印葵と同レベルで病んでいてもおかしくないのかもしれない、と思える。

【第5話】での、アシスタントとの会話で『ご自身であのシーンを思いついた時は感動しなかったんですか?』『自分の漫画ではまずないかなあ』『私は漫画のルーブ・ゴールドバーグ・マシンを考えてるだけ』というのも、人気になってしまったがために惰性で描き続け、なまじ分析力に長けて人気になる技法・展開を再現できるばかりにレベルの高い、うまい漫画を継続できてしまうという悲しい才能なのかもな、という気がする。

【第1話】(同居から1年)『矢晴の漫画を読んでるとこう描けばいいのかぁってシーンが多くて打ちのめされるんだよな』『自分の作品思い出したら組み立てダサすぎて恥ずかしくなってきた』

【第3話】(出会った日)『私が描くとどうしてもセリフ長いし理屈っぽいし古臭いし野暮ったくてダサくなるし画面のセンスもいまいちで言語化できない部分の惹き込みが弱いんですよね』

【第10話】(同居から5日目)『長編って設定が複雑になる分説明も多くなるし』『ゲームのチュートリアルみたいなキャラが多くなればなるほど雰囲気が野暮ったくなるじゃないですか』『そこをどれだけ削れるかを勉強してるんですよ』『矢晴さんの漫画で』

と、古印葵の漫画への羨望と、劣等感が溢れている。望海可純は「15巻発売時点で累計1400万部の大人気王道バトル漫画家」ではあるが、描きたい漫画(理想とする漫画)と描ける漫画が違いすぎているようだ。そこらへんが、「望海可純=上薗純の闇」といえるのかもしれない。


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