古印葵の凄さの片鱗

 【第10話 経験・アンデッド】にて、初めて、古印葵の漫画家としての凄さを垣間見ることができた。これまで純の下手なプレゼンと、純の過去での話少々だったので、古印葵がどれほどの漫画家なのか、というのはいまいち見えず、「なぜ、望海可純はこんなにも古印葵に心酔しているのか」という疑問はあったので。

これだけ心酔されるんだから、すごい作家さんなんだろうなあ、とは思ってたけど。

純は「漫画を分析してその手法を再現できる」と言い、矢晴は「そんなことできない」と劣等感に苛まれているわけだけど、いや、これは、古印葵は望海可純よりも高いレベルで作品(に限らず、人間特性まで)分析できてるし、言語化して自分のモノにしちゃってるから、再現でなく内から出るものレベルで作品に投影できてるんだな!? という驚愕があった。

もとより聡明で分析力に長けている(純の攻撃性がいつか自分に向くかも、とか)描写はあったけども、ここまでとは…! とひれ伏す。

そしてまた、物事に優劣をつけないところと、話す時に「これが絶対無二の正解」的なことは言わずに『私なら』『私だったら』と言うところ。とても素敵な人だなあと、これは純惚れちゃうわ〜と、思った。

純の漫画について話したときの、感じ方の特性について、『純さんや私みたいな人間が』『私達が』とまとめてくれたのも、なんだか、嬉しかった。純も嬉しいだろうなあ、と思う。今まで「望海可純と古印葵、上薗純と福田矢晴は違いすぎて」みたいなところから、「感性や評価するものは同じ」って認識になったのが。

あと、純が自分の漫画と古印葵の漫画を比較して、自分の漫画を卑下して貶めてたのを、さらっとすくいあげて、良いところだと説明しているところも、とても好き。『純さんの漫画を言葉で理解して楽しめてる層にとって そんな望海可純の漫画が変わるのは』『大好きな娯楽を失うのと同じことなんじゃないかな』という言葉が、「大好きな古印葵を失った」経験がある純自身にかなり突き刺さる気がする。編集に潰された矢晴だからこそ、自分が口出ししたことで望海可純が変容してしまうことも危惧したのかもしれないし。

この言葉を受けて、矢晴の真似をしたネームをやめて、望海可純のネーム切って、でも矢晴にアドバイスをもらった大ゴマのページは取り入れて、漫画描いてほしいなあと思う。その後、アシスタントにそのページが絶賛されてガッツポーズになるのか、「望海可純っぽくない」と酷評されて落ち込むのか、まで見たい。

技法というかコマ割りでの時間操作やアイレベルについては、この話の最後のページでも実践されているのが、とても好き。

(ネーム添削時の古い蛍光灯については、観てないアニメなので詳細は不明だけども、どこかの監督さんが画面づくりにかなり力を入れる人で、「ここのシーンで街灯を挟むのがスゴイ」と絶賛されていたのを見かけたことがあるので、そこらへんを取り入れてるのかも? という気はしたのだけど。)

ラストページ。部屋に戻る矢晴を見送る純。扉を出ていく矢晴。キラキラした笑顔の純のアップ。その純が見つめる先にあるのは矢晴の右手。そして、その手の直下に純のセリフ。セリフを読むのに必ず矢晴の右手が視界に入る。

見せたい絵の近くにフキダシを持ってくるのは、漫画の技法としてはわりと基本だったかと思うのだけど、これだけでも、漫画がうまい! と思えてしまう。

コメント