短編と長編

 『よく…長い話を思いつけますね』

『0から1を何個も作る人の方がすごいと思いますけどね』

矢晴と純の、意識の違いというか、お互いに、ないものねだりな感じというか。ここのシーンで重要なことは、「矢晴が、漫画の話をした」ってことだとは思うけども、矢晴も純も、「相手こそがすごいと思っている」んだなと。

矢晴は初の連載で失敗してて、純がデビュー間もなく連載持って、まだ続けてることに対して、「自分にはできない」という劣等感を抱いている、かな。

純は、デビューできるまでは何本か短編(投稿作や同人誌)を描いているはずだけど、すぐ連載持って、それが「なぜか」人気が出て、「なぜか」いまだに続いている。世界をいくつも創造できる矢晴のほうがすごいと思っている、かな。

矢晴にとっては、純の連載は、最初から長い壮大な世界を創っているように見えてるんじゃないかなー? 純にとっては、長く続いているから、世界を広げ続けてる感じで。

矢晴は、B誌での2年半がなければ、短編集もう2冊は出てただろうし、いい感じの連載も持てたかもしれないけども。

編集にアレコレ言われず、思うままに描ければ、矢晴も長編を描けるとは思うんだけども。長編向きの人、短編向きの人、というのは、ある。

私は、文字書きなので、小説に寄ってしまうのだけど。短いものを書くのが好きで、「いかに短く、簡潔に、世界を表現するか」ということに執心していた。長編が書けないから短いの、というわけではなく、小説のなかでもショートショートが好きだから、長編はもとより書く気がない、とも思っている。

矢晴の表現が、どちらを志向しているのかはわからないが、純にとっては、矢晴は「短いページ数で豊かな世界をいくつも構築できる天才」なのだろうなと思う。


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