どんな本より
【第16話】の『古印先生はどんな本よりずっと好ましい名前をつけてくれる』という純の言葉と、純が折々で思い出す膨大な量の本とか本からの受け売りとか。
純はかなりの読書家なのか、必要そうな本だけ雑多に読んでる人なのか。自分の求める答えが書いてありそうな本を読むけど、古印葵の漫画に描かれる言葉以上に感銘を受ける言葉が見つかったためしがないのかな。
矢晴の言葉の紡ぎ方が一番好きなんだろうな、とは思うんだけど。
ここまで純が古印葵の“言葉”に心酔しているところを見ると、【第5話】の矢晴の失敗した連載作を読んでの、『あれ?』『絵は格段にうまくなってるし冒頭のセリフのセンスも相変わらずいい』『けど…』『なんか…』『なんで?』と混乱しているような純の心境が、「古印葵らしくない漫画」というだけでなく、純が酔えるような“言葉”すらなくなっていたんだなあ、って感じなんだろうかな。菊池さんにばっさり切られた冒頭6ページを読ませたら喜ぶかな?
矢晴は現状、漫画を描かないけど、溢れる言葉は純に向かってずっと吐き出していくから、純は「古印葵の紡ぐ物語」は読めずとも、「矢晴の紡ぐ言葉たち」は浴びれている。
「古印葵の言葉を着たい」という思いからなのかなんなのか、ちょいちょい矢晴の言葉を吸収して再現している節はある、というか、口調が移ってる感じはある。
【第13話】の『私もそんな話ができたらなって憧れてる時のポーズだよ』ってうっとりと矢晴の話を聞いてた純の思考が、矢晴のように深く考えて言葉を紡ぎたい、でなくて、矢晴の言葉で矢晴みたいな話をできるようになりたい、ということだったのかどうか。そんな気もする。おかしいな、そのちょっと前に『もっと色んな事を考えて答えられるようになりたい』だったのに。んー?
「矢晴みたいに深く考えて矢晴みたいに話したい」かなあ?
純は矢晴と読書会でもしたらいいんじゃないかな? 矢晴がこれまで読んできた本を純も読んで、感想言い合ったり矢晴に解説してもらったり。そんなことずっと続けたら、ちょこっとくらい矢晴の言葉を着れるようになるかもしれない。
――ちゅーてキミたち、視覚優位の子たちではなかったのか……?
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