赤子
【第1話】で『私は働きもしないで赤子のように世話された』とモノローグが入り、【第6話】で純は『これは慈愛』と矢晴への愛を表現し、【第14話】で『なあ……私のこと幼児だと思ってるのか? お母さんごっこか?』『人間ってみんなもともと子供だろ?』という会話をするエピソードタイトルは【一生・ベイビー】で、カラーの表紙絵では、「赤子の額につける魔除けの印、神のものだとする印」である「あやつこ」が矢晴の額にかかる「✕」文字で示される。
ずっと、純は矢晴のことを赤子扱いしてるんよねえ……としみじみ思ってみたり。でも、矢晴が「世話をされる自分」に嫌悪感を持って赤子と表現してるだけにも思える。
「慈愛」自体が「親が子を慈しむ、深い愛」とかなんとか。
敬愛する古印葵を赤子扱いするとは何事か、みたいな気分にはなるんだけどもさ。崩壊しちゃったものを立て直すのに、育て直すほうが早いんだろうな、みたいな気にはなる。
とはいえ、タイミング的に、純が「慈愛」とか考えてたのは、出会った日(翌日ではあるけども、徹夜してるので、当日の延長)だから、純も大概イカれてるって印象はずっとずっと変わらない。
「慈愛」って言葉はきれいだけども、「上位存在(強者)から下位存在(弱者)へ情けをかける」みたいなもんじゃない? みたいに思ってしまうので。
で、【第11話】の『他人に愛される弱者しか救われないって話ですか?』って矢晴が語ったところも思い出すわけだけど。
ただ、「親が子に」という形だとイヤな気分にはなるけれど、「神が赤子に」だとそんなイヤな気分にはならない。でも、果てしない断絶があるな、とは思う。「あやつこ」が「神のものである印」という説明を見たときには、「それって矢晴が純のものってことっすか!?」と滾りはしたけれども。
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