冒涜と贖罪
純が古印葵である福田矢晴に尽くす理由として、ふわっと思い浮かんだ。
私は純が“慈愛”だけで矢晴の世話をしているとは思ってないのだけど。そりゃまあ慈愛に似た愛情は存分にあると思うけども。
【第14話】で、矢晴が「シヴァ・アンバー3巻」をちらっと読んで、『ここのモノローグの前半……』『似たような言葉で似たようなことを書いた覚えがある』『後半の文章は違うな野心的で前向きに発展させた内容…』『もしかして』『私の作品への返歌……か?』と言っていたところ。
もしかして、ということもなく、「返歌」なのだろうと思う。
そしてそれがこの巻のこのエピソードのみだとしても、「シヴァ・アンバー」全体に及ぶとしても、累計1400万部を売り上げる望海可純の漫画は、古印葵がいなければ成り立たなかった。「望海可純が受けている称賛と対価は、本来、古印葵が受けるべきものである」と純が考えていてもおかしくないのではないかなー? と思った。
また、憧れているものの、自身の技術や表現力が理想とする古印葵に追いついていなくて、自身の満足のいくものではなくて。その程度であるのが「古印葵を冒涜している」と純が考えていてもおかしくないのではないかなー? とも思う。
「古印葵が唯一幸せをくれたからのお返し」「慈愛」以外に、「純自身が古印葵を冒涜しているから、古印葵である福田矢晴に贖罪している」というのもあるのかなあ、と考えてみた。
実際、純はそんなことはまったく考えてなくて、「古印葵のファンだから、矢晴が好きだから」だけであれだけの世話をできる人なのかもしれないけども。
「望海可純が受けている称賛と対価は、本来、古印葵が受けるべきものである」というのを純が思っていなかったとしても、いつか矢晴が言うんじゃないかな? という気は、している。
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