漫画

【第13話】が前後編出揃って、先行きの不安しかないな……とか思いながら、【第1話】から読み返そうとしてて、『二年ぶりに漫画を描いた』から始まるので、矢晴ぅうう、よかったよーーー! という気分になっている。

【第13話】を読んだ人の感想を見ると、自分の感想とのあまりの違いに落ち込みそうなんだけども、幸せそうなのならよかったな……と思う。できれば詳細に語って欲しい、聞きたい。

で、本題。

矢晴は『形にならないものに命はかけられない』『だからもう漫画家にはならない』と晴れ晴れしい笑顔(なのが超ムカつく)で、言っているわけだけども。矢晴にとって漫画は「命をかけて形にするもの」なのか「形になるから命をかけてもいいもの」なのか、すごい疑問だな……と思うわけだけども。

一応、矢晴にとっては「漫画家でいることは命がけ」だったということなのかな?

自分の作品を作り上げることに命がけだったというよりは、漫画家でいる・いたために命が脅かされた、という気がするんだけども。作品の出来不出来じゃなく、状況が……というところが、にっちもさっちもな気分にはなる。

矢晴は自分の漫画に『忘れたくないと思ったモノや感情を取り込んで形にしてます』と言っているから、古印葵の漫画は古印葵である福田矢晴にしか描けないものであるわけで。

矢晴が生きてる命のきらめきを昇華して漫画という形にしたのが「古印葵の漫画」であって、それが純の心に響いて、『繰り返し読めば読むほど夢みたいに気持ちいい』わけで。このときの矢晴は漫画を描くのが楽しかっただけだったろうと思うんだけどな。

『吐き出すばかりで形に昇華できない人間になってしまった』のは、確かにその通りなのかもなと思うのだけど、現状、淀んでしまった池の水を攫って出しているだけの状況で「形にしたいもの」を吐き出してはいないよね……? と思う。それ以前に『描きたいものがなくなった』『思いつきそうになると脳から否定の声が聞こえて』『自分の意志もそれに同調するようになった』っていう状態すら脱してないよね……?

矢晴は結果を求めるのが早すぎるうえに、諦めなくていいところで諦めるのが早すぎて、諦めればいいところでしがみつきすぎるーーーー! おばかー!! とジタバタしたくなる。むしろ、危機管理としてB誌で上手く行かなかったらA誌もあるでよってくらいに、両方掴んどけばよかったんじゃー! ばかー! ってジタバタしたい。まあそれをできないのが人間なんだが。

今の矢晴は「漫画という形にしたいだけの命がない」けども、もし「形にするのが命がけ」なら、漫画描き始めたら死んじゃいそうでイヤだわ……どうなるんだろ……。


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