愛される弱者

 【第11話】の『これじゃ私ただのヒモじゃないですか』『矢晴さんはヒモの才能がありますよ』『他人にほっとけないと思わせる人間ってそんなにいないですから』と矢晴の言葉に、純が考えなしに笑顔で放った言葉に、矢晴の様子が変わる。

『他人に愛される弱者しか救われないって話ですか?』という矢晴の言葉に対して

【第13話】では、純は『質問に答えられなくて誤魔化してしまった』と考えていて、【第11話】で『それが矢晴さんの漫画の才能ですよ』という言葉で誤魔化したのだとわかる。

純は、単純に「他人に愛される弱者しか救われないのか」という話を振られたと思っているのかなー? と思うのだけど。矢晴の話も「愛されない弱者を救う方法」「解決しない」「好きなものしか愛せないのが人間の弱さ」と展開されているので、純には口を挟めるところがない。

そもそも、矢晴が問いたいのはそういった話じゃないと思えて。

純がこの時点で答えとして差し出したら良かった言葉を考えてみると、「そういう話じゃないです」「私が矢晴さんと暮らしたいだけです」くらいだったかなーとは思う。

純は古印葵が好きで福田矢晴を助けたいと思っただけだから、純の『他人にほっとけないと思わせる人間ってそんなにいないですから』という言葉自体が矢晴の状態にも純の行動にも合わないわけだし。

純の言葉をひらたくすると「他人にほっとけないからと思われて手を差し出される人間は少数であり、大多数は見向きもされずに放置される」「矢晴はその少数の人間だ」「それはヒモの才能があるということ」ということにはなるかな。

矢晴は「働きもせず豪邸に住んでなにもかも世話されてる身分不相応な暮らし」をさせてもらっていてかなりの引け目がありそうなのに、それを「ヒモの才能がある」「矢晴は他人にほっとけないと思わせる人間だから」と言われたのが辛いんだと思うのだけど。

ここはほんと、純の考えなしの言葉(これがもし矢晴フィルターで歪んでいるのなら、圧倒的に矢晴の思考がダメなんだけど)に対して、わかりにくい皮肉でもって応酬しようとした矢晴と、その矢晴の質問に答えられないからと誤魔化したという純の、どいつもこいつも感が、やべえたまらん……って気分になる。

【第13話】でこのシーンの純の思考も出たことで、すれ違い具合がより鮮明になってて、好き。

ここらへんの矢晴の典型的な“認知の歪み”がわかりやすくてすごいなと思っていたりもする。


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