B誌での古印葵
小さいながらも賞を獲ってこれから、という時分ではあるまいか、という頃合いに、B誌に勧誘されて、『興味があったからB誌で打合せを始めた』と、ふわっとした理由で行ってしまったのが運の尽き、みたいな古印葵だけれども。
これまで語られた分から考えると、最低でも3作は描き上げていそうな気がする。うち1作は2ヶ月修正してボツになっているから、描き上げたと言えるかどうかとは思うけど。
B誌に移って最初の1年(25歳)は、おそらくA誌で発行した単行本の印税などで生活し、漫画を描くことだけに専念する感じではあったけども、B誌では一切採用されていない。『もがいてももがいても進展は見えず足踏み状態の日々』。この頃の担当は、黒髪セミロングの人のようで、打合せ中に黙り込んでしまう人ではないような……?
一切採用されないから原稿料という収入がなく、支出のみがかさむ。貯金が減っていく。
2年目(26歳)には、レジ打ちのバイトで生活費を稼ぎながら、漫画を続ける。年末頃に『来年…4月…に掲載するつもりで…準備しましょう』と採用されたと思われる(けど、2ヶ月修正に費やしてきてのボツ。この案件は3年目にかかる)。
3年目(27歳)は、その年の4月に掲載するつもりで2ヶ月修正してきた作品がボツになっている(2年目の案件)。(※ここで「何年もフリーターでいるのは嫌だ」と言っているから現状バイトをしていると推測されるので、26歳〜27歳の出来事と推定している)そして、この3年目の半ば(2年半)でB誌を去ることになるので、おそらくこの出来事が決定打となっているかと思う。
そして、時期は不明になるけども、『んー何度も直してもらってあれだけどジャンル自体変えない?』と言われている作品と、『描いてもらったやつ確定って言ったけど(中略)あれ全没ねまた企画からおなしゃーす』と言われている作品。
おそらくは、半年から1年程度の期間に1本、作品を採用と言われて、描き上げてはボツにされる生活になっていたかと思われる。採用された作品が読み切りなのか連載なのかは定かではないが、安定した収入への期待がなければここまでしがみつくこともなかったのでは? とも思えるし、「掲載は来年4月」「修正2ヶ月」など準備期間の長さを考えると、「連載作でまず3話分を用意」などではなかろうか?
そう仮定した場合、B誌で最低でも3作、連載用の3話分(トータル9話分:各話20ページとして各作で60ページ、合計180ページ)を描き上げてはボツにされ続けるという経験をしており、採用される前、ボツになった後には、またネタ出し打ち合わせを続けてことごとく不採用の期間があり、一向に掲載に至らないのに、連載への期待だけはさせられて、採用を喜び描き上げればボツになりという地獄のような2年半だったと考えられる。
プロットだけでボツならまだしも、ネームにまで進んでボツも数多だったろうと思うと、純に『0から1を何個も作る人の方がすごいと思いますけどね』と言われたところで、「作り続けた0から1を数え切れないくらいボツにされて否定されてきた」矢晴としては到底褒められているようには聞こえず、無反応になるわなあ、と思う。
仮定で想像の話ではあるけれど……矢晴、辛すぎ……と思う。
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