視点の違い
【売れうつ】は矢晴視点と純視点とで構成されてて、違う視点で描くことによって、同じ出来事のそれぞれの思考や感じ方、記憶の違いとか諸々、鮮やかで、凄いとしか言いようがなくて、凄い。
創作論的なところから言うと、一人称視点での物語は「視点となっている人物の見える範囲、感じる範囲、本人の思考しか描けない」というルールというか制約がある。一人称で語っているのにその場にいなかった出来事を詳細に語ったり、テレパシーが使えるわけでもないのに、相手の考えていること、思考を語ることはできない。
小説だと、一人称で語っている人間の視界の範囲しか描写できないから、語り手が赤面したときなんかに「顔が赤い」と断言することはできない(見えてないから)みたいなところがある。
とはいえ、漫画表現としては、語り手の視界のみで描くと、「画面内に語り手がいない」ということになるから、「場面を撮るカメラは三人称視点(神の視点)」で描かれていて。たまに視点人物が見えてないところまで映してる。
というのが、また、うまいなあー! と思うわけだけど。
だから、【第9話】の表紙で、純の思考が描かれてたのは、わりとびっくりしていた。表紙だから本文の一人称視点による制約は受けてないのだな、とイレギュラーを喜んだりしていた。
そのうち、矢晴が物事を現実あるがままに受け取って描写された矢晴視点と、その時の純視点とで、同じ出来事が同じように描写され、それぞれの内面が描かれるみたいなエピソードが見たいなあ〜と思う。
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