きったねえ欲望

 を持っているのは、矢晴ではないのか。

スキンシップで触れ合って、体温を感じて、肌に心地よさを感じていたのは純も矢晴も同じくらいありそうだけど。

純自身は、古印葵に近づきたい(自身の漫画も、関係も)という欲望はあれども、けっこうな純愛を貫いていたように思う。一生一緒にいてほしい願望はあるけども。それが狂気なまでの執着であっても、実際の肉欲、色欲、情欲の方面にはいってなかったのは、もとより「2次元で抜くオタク」だから肉体的接触なしで脳内だけで済んじゃうってことで、と考えていくと、それなりの性欲はある、とは言える。

けど、やっぱり、矢晴に『きったねえ欲望』と言われるような筋合いはないなあ、純の内面の話ですし!

と思うわけで。

純の欲望を『きったねえ欲望』と断じてしまうのは、矢晴が同じだけ、もしくはそれ以上の『きったねえ欲望』を持っているからの転嫁、投影なんだろうなあーと思う。

自分が『きったねえ欲望』である肉欲、性欲を純に対して持っているから、純の自分への気持ちが“慈愛”であってなるものか、みたいなところもあったりする?

でも、そもそも、性欲を「汚い」ものとして認識してるのかどうかも、わからなくなってきた。「性欲=汚い」じゃなくて、純が“慈愛”で包んでいる中身にあるだろう種々の欲望が「汚い」と言っているのかな?


でもまあ、純が突き詰めて考えないようにしてる純の内側を、古印先生は純が惚れ込んだ言語センスでもって的確に抉って触ってくるのねえ……。この赤面具合とか見ると、純、すでにイッてるか? って感じが、する。

『体の外側のことはいくらでも見せてよ』『内側はいくらでも隠せるんだし』

と言われたのはこの日の昼の入浴時になるけども、そのおかげで、「自分に隠したい内側があるように、純にも隠している内側がある」とでも思ったのか。その夜にここまで暴き出そうとしなくてもいいんでは……? とも思ってしまうんだけどもなあ。純はそっとしてくれてるんだから、そっとしとけよ……。


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